下品とも言える欲求、発想からの行動。所謂不純な動機。
不純な、スノッブな、下世話な動機から始めても、していく事で、良きことをするはめに。良きことをとは、良いとされている、良いはずだ、とは違う。
ゾンバルトは、花粉と蜂に喩えていました。
良きことをしようとする、とは自らは本当は良くは無いんで、良きことをしておこう、と言う構造を持つ場合があります。自身が、善ならば、善そのものならば、全ての言動が善なんですよね。極端な、意図的な悪ではなければ、大概良い、となりますね。
善意が何時でも良い結果を生まない、と言う皮肉はありますね。良き言動をするのに、理由はいりませんが。
※本文とは関係ありません
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