一人前と言う言葉一流と呼ばれると、努力を買ってもらえなくなります。高校野球の選手の活躍、世の「甲子園」「登竜門」でもらえる応援は貰えなくなり、出来て当たり前の世界へ移行。承認欲求が甘えと見做されてしまう。日本には半人前を応援する、或いは判官贔屓と言う美風があります。弱きもの、運命が味方しない存在への同情。それが時に、未熟礼賛、となったり、立派にやっている人を見逃す、となる。シンパシー無き社会はありえないんで、それはそれでいいんですが。※本文とは関係ありません