かつては全ては後追いでした。
村上春樹の「ノルウェイの森」を図書館で読んだ時に、これを読み進めてはいけないと禁忌めいたものがあり、読まないでいました。結局、大学生になってからで、正確に言うならば受験終了後の高校3年生の春休み。刺激的な日々の再開の中に「ノルウェイの森」がありましたね。
そして、発売日と同時に、正確に言うならば書店でアルバイトをしていたので若干発売日より早く入荷しますが、読んだのが、「国境の南 太陽の西」
そこからは「ねじまき鳥クロニクル」を店頭に並んだ日に2巻(全3巻中先行で2巻販売していた)買い、夢中に読みましたね。
村上龍は「エクスタシー」、大江健三郎は「僕が本当に若かった頃」あたりで新刊として読み、司馬遼太郎は「この国のかたち」からはやっと同時代。
ちょっとニュアンスが違いますが、塩野七生の「ローマ人の物語」は毎年年末新潮社から豪華なカバーで店頭に並び、年末の長い間の楽しみでした。
今は井沢元彦さんの「逆説の日本史」が年一回ハードカバーで出ると読み、その読みやすさにうっとり。
遠野遥を知ったのはいつの間にか。
「改良」(デビュー作)を手に取り、読み、なんとなしに夏目漱石(明暗)が浮かび、しかし地の文の使い方は谷崎潤一郎かなあ、となんとなしに透けるものに慄いていたら、「破局」が出、また驚き、暫くしたら芥川賞で驚き、櫻井敦司との関係に驚き、「教育」を新聞広告で知り、慌てて書店に行ったら、「文藝」が品切れ(文芸誌が品切れ!)で慌てたりと。読売新聞新聞夕刊の文芸評論に「浮遊」が取り上げられているではないか。
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