ディーパック・チョプラやウェイン・ダイアーはイメージが違っていましたね。


ニール・ウォルシュ辺りは、そうかなあと。


チョプラやダイアーは、覚者と言うイメージとは程遠かった。せわしなく、日本だとかなり昔の商社マンのような、如何にも遣り手に見えた。

覚者は、金銭に淡白と言うイメージもある。




なんでだろう、と違和感を温めていた。



「待っていない」と分かる。

ある局面が来るのを、待っていない。

なぜ待たないのか?

現実界から、想像界への逃避をしない、していない。


なにか仕込み、投げ掛け、仕掛け、結果が出るが、結果を予想し、悦に入り、それが糠喜びで、失望し、嘆きのようなサイクルに無い。

ある局面が来るまでを、まだ上手くいっていない状態として見、局面が変わった暁には栄光が待っている、とイメージに入り込む事をしていない。


忙しなさすら感じる、スピリチュアルリーダー、覚者を見、待つ不毛さを思う。


今を栄光の未来の材料にはしない。材料にもなっていない場合すらあるが。

今は今。


※本文とは関係ありません。