明治政府要人は、渡欧経験がある。岩倉具視大久保利通伊藤博文。
伊藤博文はヨーロッパを見て、日本の遅れに絶望した、
ではなく、
30年の遅れと見た。
徳川泰平の世、所謂鎖国(傾向があった)体制で、軍事経済は、特に戦国時代は世界レベルだった軍事力は弱体化し、欧州の戦争慣れ、侵略慣れ、植民地化に自信を持っている、それを支える社会体制を持っている姿とはかけ離れ、欧州は帝国主義と呼ばれた2回目の、最後の拡張期に入っていた。
日本は、東洋的な社会から、西欧型に切り替える。トランスフォーメーション。
明治維新。
御一新。
その際、中途半端な年にいた人々は、若い者に世を任せたそうです。
何もしなかった、邪魔をしなかった、出来なかった。
そして、数十年の後には、日清戦争を、日露戦争を遂行。十年の間に、日本のその後の全てと言って良いくらいの成果。
良きモデル(ヨーロッパ)を採り入れ、古いとされたものは止めたり、控えたりする。
脱亜入欧。
平成とは、何やら、見方によれば停滞期。これだと言うモデルが見つからず、或いはモデルに順応すると言うスタイルが効果があまり無い。
大いなる停滞と言うか。
平成の30年間は、どこかに最終型に近い姿を待っていたのか。
最終期にアベノミクスを採用し、空前の金融緩和、それにインバウンド。観光立国。
観光立国が最終型なのか。
確かに、日本には意識的には観光立国と言う要素は無かったが。
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