裁くな、と言いますが、裁くと言うか選別すると言うか。


選別していると、その価値観と、それとは真逆に近いものが現れる。

現れる、とはそれしか見えなくなる。


何故裁くな、と言うと、道徳的でもそうなんでしょうが、見える風景が、見ている額縁を固定するからで、裁かないと現実が現れる。


現れた現実はゼロ地点なので足していくだけ。選別してみている姿は現実の一部。一部と全部ではどちらが良いかは考えるなくてもわかる。


選別している自覚がなくても、不満不平と言う形で現れるから分かりやすい。不満不平は、或いは不足は選別しているが証。

悪いわけではないが、意識しようがしまいが言動は狭まっている。

選別は、自分がどう見られたいから、と視点、欲求から来ている事が殆どだから。パラドックスだが、他者を必要とし、この場合の他者とは必ず権威、権力と関係し、必ずしも自分には利益を齎さない。害さえあったりし、嫌いな相手だったりもする。


選別しないと、何かが起きるか、人間関係をはじめ、大抵好き嫌い、合う合わないで大丈夫。利益はあった方が良い、程度に、必要があれば、程度になる。所謂自分軸への移行。こうなると、選別し、自分をどう見せたいかと言う不安からくる生き方には戻りにくい。戻れない。それでいて気楽さ気ままさ豊かさはついてくるから、何であんなに必死に承認欲求に引きずられていたのか。元々はああなりたい、あれは嫌だからはじまっていた事に気づく。

選別が視野を視座を狭くしていた、と。


※本文とは関係ありません。


フジテレビで放送中の神尾楓珠主演「顔だけ先生」は秀逸ですね。イケメン先生のドタバタ学園もの、ではありません。神尾楓珠の軽みのある見事な演技、見事な脚本。