東京オリンピック2020の閉幕式でかかっていたクロード・ドビュッシーの「月の光」。冨田勲によるシンセサイザーアレンジ。

シンセサイザーと言う新しい楽器を持て余していた世界に方向を示した。冨田勲はビートルズ、サイモン&ガーファンクルの楽曲もシンセサイザーアレンジしている。クラフトワークの「アウトバーン」と時期が近い。キース・エマーソンの活躍とも近い。

モーツァルトやらベートーヴェン、ワーグナーを聞いていると、ドビュッシーやらストラヴィンスキー、ラベル辺りは同じジャンルと感じないのでは。

フョードル・ドストエフスキーの作品、例えば、「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」、トーマス・マンの「魔の山」「ベニスに死す」、三島由紀夫の豊饒の海を読むと、意気込みが違うと言うしかない、総合、全体小説と言うべきか。社会問題に切り込み、物語を展開させ、討論やら、説明を繰り返す。

落合陽一の「デジタルネイチャー」を読む。一読し、驚く。これは詩か?小説か?

情報は多く、まとめられていて、現代を切り取っている。近代が終わり現代に、と呼ばれて数十年が経つ、ポストモダン、近代の黄昏、を描いた詩のような、小説のような。現代を描く事で近代を描いている。近代にないものが羅列気味に記載されている事で近代が、戦後日本が描かれている。日本ならば平成とは何だったのかが透けている。仏教と現代のアナロジーも斬新な見方。兎に角、啓発されてしまう著作。刺激的で、今どきの言い方ならば一気読み。敢えて言う。


面白い。


※本文とは関係ありません。