随分と昔の事になる。
まだ、さほど一般的ではなかった村上春樹。
当時僕は書店にいた。「ノルウェイの森」の揺さぶりは言語化出来ずに、深化し、単に繰り返し繰り返し単行本を読み、文庫本を揃え、「ウォーク・ドント・ラン」を文字通り擦り切れる程読むしか手掛かりがなかった。村上春樹と言う作家とどう繋がれば良いのかわからなかった。そう。繋がりを強いる作家だった。恐らく全共闘やら高度資本主義に対しての何かを共有し、共感めいたものをしなければならないと駆られたが、ダブルバインド、共感を得たいわけでも無いことは表現されていた。ちょっと違うんだよね、と完全否定されるに決まっている。「国境の南 太陽の西」が発売された時に書店の店員は僕に今日発売なんですよ、と告げた。誠実に、きちんと僕の嗜好を知っていた。早速買い求め、夜遅くなるなあと言う気合。一気に読む。最初の方はあの「ノルウェイの森」が帰ってきた、といささかの興奮が。読み進めるとだいぶ違い、逡巡が。
しばらくして、「ねじまき鳥クロニクル」が新潮社から刊行。全3巻のうち2巻先行販売。凝った装丁。ソフトカバー。豪華。
これが「19Q4」となると、高揚感はなかったが。
遠野遥の「教育」を読む。「文藝」
まあ、凄い、としか言いようがない。手管と言うか。「改良」「破局」と来て、凄みがある。芥川龍之介賞受賞後の初の作品。性と暴力、それに新しい学園小説と言ってしまうと何やら抜け落ちすぎた言い方になるが。才能としか言いようのないものを感じる。初期の大江健三郎を想起させる文。一人称。筆の粘りつくような゛余裕さ゛は谷崎潤一郎を。
「教育」。語りようがなく持て余す。出現と云うよりは、そこにあった、つまり発見したかのような錯覚を覚える作品。作者のインスタグラムでサラリと予告されてから日が浅い。
※本文とは関係ありません。
