保守と呼びべきものが増えていた。


昭和期に、岸信介は、昭和の妖怪と呼ばれ、日米安全保障条約、日米地位協定改正をし、戦前満洲国建国に拘り、東條英機内閣の閣僚、戦後A級戦犯から、政界復帰、内閣総理大臣と言う道を辿る。

平成になり、原武史氏によるのか、民族派の政治家になる。自由民主党の右派と言う位置付けだが、戦前は革新官僚の代表的人物、革新官僚とは左翼官僚。国家社会主義と呼ぶのが適当か。

中曽根康弘は、若かりし頃、青年将校と呼ばれる程に吉田茂の対米従属路線を批判。総理大臣となり、民営化を推進。田中角栄を代表とするようなそれまでの社会主義的な経済運営と一線を画す。自由民主党に変化の要素が出てくる内閣。対米従属路線と親中の強化、民営化。民営化と言う事は自由主義。

自由民主党と言う党は一般的には保守政党と見られているが、左派と右派では色合いが違う。右派は自由民主党のメインではあるが政権はあまりとっていない。左派は基本王道。保守本流。親米親中路線。


自由主義を保守とは呼びにくい。はやり国を富ますと考えると池田勇人田中角栄の在り方は民族重視、民族派となるが、あれだけ国土を開発して保守と呼ぶのか。

中曽根康弘橋本龍太郎小泉純一郎は新自由主義を志向していた。何を保守しようとしたのか。安倍晋三によりアベノミクスを自由主義と呼ぶのか?経済的には左派だったとするのか。民主党政権の経済政策は自由主義を志向していたとしか見えなかったが。

伝統的には欧米との関係、かつての西側との関係重視が保守。脱亜入欧。サミットで活躍となると中曽根康弘安倍晋三しか浮かばない。安倍晋三の地球儀外交は西側と言う概念を超えたものだったが。




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