濾過器が無い場合には当たり前やら常識、その時々の様々な成り行きがあり、無難、妥当なものになる。
「狂人とは理性を失った人ではない。理性以外の全てを失った人である」
とはG・K・チェスタトンの言葉。
思考のみで生み出すものの、軽薄さ。
逆の話もしていて、「徹底的に現世的な人は現世を理解出来ない」とも話していますね。
所謂六感では把握しきれない、と言う極めて常識的な見解です。しかし、何でも分かる、何でも見える式の浅薄さが世を覆っている。
人類が、これだけの失敗やら不明があっても生き延びてきたと言う事実。
歴史を学ぶのは、戦国時代明治維新の英雄伝説を読む事でも、虐げられた人々を想像する事では無く、自身に至る道を見出す行程。
日々の営みがいとも簡単に変わる。何でも決定論宜しく、思考停止する怠惰。諸行無常を感じれば、目の前にあるのはどうにでもなったはずが、刹那現れている今と言う奇跡。見出された空間。どうにでもなると言う感覚は畏怖を齎す。
「孤立した傲慢な思考は白痴に終わる」、ともチェスタトンは語る。
ネットに漂う、マスコミに溢れる根のない情報は、常識と言う日々の営みが作りだす濾過器を通り抜けられるものはいくばくかあるのか?
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