一昨年、誘われてキャンプに。
あまり好きではない。

キャンプと言うものをたまには味わおう、と「決意」。
乗り気にはなりにくいメンバー。キャンプと言う体験を久々にしようと言う趣旨。
キャンプ場にはバスをチャーター、世話が無い。キャンプ場近くの観光に寄ってから今時のキャンプ場に。
バーベキューの食材、肉は肉屋さん、つまり専門店、で揃え、野菜も沢山、溢れんばかりのアルコール。
焼き鳥、ステーキ共に、凄いレベル。
キャンプ場には、温泉もあり、バーベキュー後の煙っぽさを拭い、バンガローは清潔。バンガローではア・カペラ、と言うかスペシャルメドレーを披露し好評を博す。
朝が来て、散策し、乾麺の饂飩が朝食と言う、変わった嗜好。
空気は透明で、時間は一定に流れ、晴れ間は常にあった。

ゆっくりとキャンプ場を出、近くの有名温泉に寄り、再びお湯を楽しむ。

これだけあっても、感興は無かった。
メンバー重視の性格のせいか、生来肌に合わないのか。

感興は無かったが、経験した、と言う感覚は残った。負荷がある事は、経験として残るのか。

※本文とは関係ありません。

遠野遥さんの芥川賞受賞作品「破局」を、やはり前作同様再読、一気読み。「改良」は「破局」に比べれば、逡巡が少なくラストまでの一直線。「破局」は、枝が分かれ、枝の色合いを見せてみせる。
ジグムント・フロイドに、es(エス)と言う概念がある、id(イド)と言う概念がある。
主人公は突き動かされ、禁止され、ego(エゴ)は、その結果に揺さぶられる。
自分の衝動、想念は「勝手に」起きて、勝手に検閲され、衝動には添うしかないと言う姿が整えられた小説言語の中に丁寧に納められている。
「改良」の時には谷崎潤一郎の「秘密」が浮かんで離れなくなり、「破局」では、夏目漱石の「それから」が浮かんで来た。「破局」を読んでいるのに、「それから」を読んだ印象が残った。不思議。