新聞を読む或いはとる(契約する)

本を読む。文庫本を買う(全集でしか読めないような作品を安価で買う)
学校に行く(高等教育を受ける)
辺りは、かつては高嶺の花、庶民のステイタス、欲求だったんです。
新聞を読めない、そもそも字が読めない、本を読めない人がいた。
読む為の教育を受けられなかった。お金がなかった。
イギリスは、植民地支配した地域では高等教育を充実させました。当たり前です。高等教育を植民地のエリートに施し、彼らに植民地支配を協力させる。国民を分断させる訳です。逆に初等教育はしない。受けさせない。植民地支配の地域を極端な格差を作る。一つに纏まらせない。
そのせいか巡り巡り、本国も保守党と自由党と言う二大政党制だったのが、自由党が分裂。保守党とは相容れない労働党が誕生し、トニー・ブレア首相まで保守と歩みより出来ない状態、保守党が労働党に近づくと言う状態が続きました。
教育とは、積み重ねる事がモノを言う、と言う特徴があります。まっさらからはなかなか何も思いつかない。出来ない。ベースが必要で、基礎が無いと進まない。
新聞が、天下の公器と呼ばれ、間違いが無く、特に政治では政権、権力の監視が任務とされていたのが、昔日の感がありますね。マスコミやらインテリに対しての期待があった。それが今では、関心を持たない読者と、期待に応えきれない送り手。新聞を読んでいると「頭が良くなる」と言う発想すらあった。読む事に憧れがあった時代がある。
本もそうです。文学少年、文学少女になりたかった、それ以前に本を読みたい人がいたんですけどね。
新聞離れ、読書離れ。
ある年代までの悲願を壊している。
※本文とは関係ありません。
