渡部昇一氏には
「文科の時代」「腐敗の時代」「正義の時代」
と言う著作がある。
時代を描いている。
「文科の時代」は、高度成長時代の終わり、それはオイルショックから来た。工業社会の終わりの始まり。合理主義の浸透と、オカルトの復活。工業社会の行き詰まり、不況と終末的な世相の反映。「オーメン」「エクソシスト」がブームになり、「ノストラダムスの大予言」が大ベストセラーに。
「腐敗の時代」は、田中角栄と言う一政治家、人物と言う範疇を超えて現象とも言える存在なくしては語り得ない。民主主義(民主制)、議会制、代議制、戦後日本、自由民主党、保守本流と言うテーマを喚起させつづけた存在。田中角栄内閣の出現、金脈問題により退陣、ロッキード事件と言う現象の余波。
「正義の時代」は、世界的なリベラルの風潮。学園紛争、三島由紀夫の自決を齎した底流を描く。時代が変わる端境期から過ぎた時代を見る。
氏の「知的生活の方法」「人間らしさの構造」は社会に適応する事では、ままならなくなった人々が様々な方法で自己を表現し始めた社会情勢を背景にしている。氏はジョセフ・マーフィーの紹介者でもあり、「随筆家列伝」における幸田露伴の再評価は、露伴を「努力論」の作者として再構成し、現実は目に見える所謂現実の他に、目には見えない現象現実の背後にある幽界とも言えるものを想起させるものにアプローチする重要さを説き、社会順応・反抗以外の道を示している。正に「冥々たる、茫々たる」。