大河ドラマ「徳川家康」最終回、死期を悟った徳川家康(滝田栄)が一族に人生を語るシーンがあります。
信玄公には、戦を(三方ヶ原の戦いを指すのか)
総見院(織田信長)には、時期と言うものを(一地方大名から天下一統を目指す変化)
太閤(豊臣秀吉)からは人の死を教えて頂いた
と言うセリフがあり、山岡荘八の原作にあるのか、ドラマの回想シーンと相まって印象に残りました。
武田信玄には、大きな戦では唯一の敗北を帰しています。生死を彷徨う。
織田信長には、同盟関係とは言え、武田信玄との関係もあったのでしょうが、長男信康を死に追いやる事に。
豊臣秀吉とは小牧・長久手の戦いで対峙し、後に協力関係に、しかし、北条氏滅亡後は、先祖伝来の土地から関八州への転封。
何れも最大級の煮え湯を呑まされています。忍柔の日々。
時代が違う、現代的な価値観とは違う、史実とその解釈(物語)なので、実際のところは分かりませんが、教わろうとする姿勢とは、指導者に優しく、懇切丁寧に教わると言う形だけでは無い事は分かります。
「大変」な時は「学んでいる」、と解釈すると、何かは学んでいる、とは分かります。確かに何かは学んでいます。違う言い方ならば、何かは掴んでいる、獲得している。その時は分からなくても。
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