音楽に飢えていた!

のは昭和期か。
街中では、今程音楽は無く、スーパー・マーケットではオリジナルのシンプルメロディーな音楽。
それが昭和。
だから、ウォークマン(ソニー)が必要だった。
音楽、流行歌を聞くためにTV番組、所謂歌番組を見まくり、アイドル番組を見、ビデオに録画。ラジオ番組に注意し、録音(エアチェック)、レコードショップに行きレコード、CDを買い、レンタルショップでレコード、CDを借りて、カセットテープにダビングする。
ここまでは量の差はあれ、どの家でもしていた。
意外としなかったのは、
過去の曲を聞く
いつでも新曲を追い求めている。
それだけ、濃密にヒット曲が出て来ていた。せめぎ合い。過去の曲を探さなくても、事足りた。それだけの余裕がなかった。十二分だった。
80年代。
広義の歌謡曲は、アンルイスの「六本木心中」、聖飢魔IIの「蝋人形の館」、シブがき隊の「zokkon命」とは言ったヘビーメタルの、イエロー・マジック・オーケストラの「テクノポリス」「ライディーン」、TMNの「Get wild」「Beyond the time」などのエレクトロン、エレクトリックポップなど大衆性と非大衆性とのせめぎ合いのような楽曲がありました。
更に、アメリカ発信のアンチロックの流れ、つまりポップ!もあり、70年代まで圧倒的だったブリティッシュロックの影響に歯止めがかかりますが、クラシックロックとして、聞き継がれ、その過程か、反逆、反抗と言った大衆性と対立する要素は薄めて聞くようになっていました。
時代が変わった。
言いようも無く共有していたものがなくなっていた。
平成になり、いるかもしれませんが、ボビー・ブラウン、ベビー・フェイスのダンスミュージック、マドンナのヴォーグ、ブラーのブリットポップ、ニルヴァーナのグランジェロックやら、マルーン5のようなニューブルースロック(?)、ブルーノ・マースのようなファンク(?)に影響され、消化し、ヒットさせている姿は日本のアーティストには見えない。
ラップの流行辺りから、消化不良、或いは需要が無いのが現実か。
かつては、物真似?と間違うような、何処が物真似なんだろうか、と言う辺りから、「進化」して流行すると言う流れがあり、大本はヨーロッパ、アメリカ、当たり前でした。
ビートルズがはっぴいえんどに、ビーチボーイズが大瀧詠一、山下達郎に、ボブ・ディランが吉田拓郎になり更には浜田省吾、最近のあいみょんに、クラフトワークがYMOとなりTMNに、ブルース・スプリングスティーンが佐野元春に、更には吉川晃司に「進化」していくのを見ていきました。
何せ大本が無い。
※本文とは関係ありません。
