忘れ得ぬ風景とは、名勝、絶景、ではないかもしれません。

忘れ得ぬ、と言うと、

人でも、食事でも、出来事でも。

これは、忘れ得ぬ、歓喜、感動、感激、憤怒、痛恨、悔恨も、過ぎたりし日々は、真夏の夜の夢の如し。泡沫の如く、風化に見舞われる。

何気ない会話、場面。言い知れぬ深い感情の揺れがある場合がある。

河合隼雄は村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」を現代夫婦の物語と読んでいました。一緒に住んでいても分かり会えない。家出した妻の物語と読む。
夫婦と言えば、安部公房の「砂の女」を夫婦の物語、特殊な妻、と読む読み方がありました。
現代の、物語無き時代の人間関係。

文学は70年代に入ると、世界的にファミリーストーリーが主流となる。
リチャード・ブローティガン、ジョン・アービング。先行はジョン・アップダイクか?
戦後、題材から飢餓(貧困)が抜け、軍事関係が抜け、政治が抜け、国際関係が抜け、物語が家族関係に。
極端な事件が入っていると違和感を感じる、エンターテイメントかSFになる。

凄まじい事がなくても物語は作れる、作られる。
ちょっとした出来事を漫画にしたものが流行ってますね。日本ならばアニメーションでは日常系、空気系が人気。

対極にあるのは、山崎豊子「白い巨塔」「不毛地帯」、松本清張「昭和史発掘」、大岡昇平「レイテ戦記」、島尾敏雄「死の棘」、大江健三郎「洪水はわが魂に及び」、安部公房「方舟さくら丸」辺りでしょうか。

「大きな物語」がなくなったせいかヨーロッパからの文学がなかなか見えてこない。アメリカは辛うじてありますが、世界を席巻する文学が見えない。昭和末期平成初期にマグリット・デュラスの「ラマン」が映画化を機に少し話題になりました。同じくオノレ・ド・バルザックの「美しき諍い女
」、E・M・フォスターの「ハワード・エンド」「モーリス」辺り。どれも古い作品。戦後の作品ですらない。

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