金融系の会社をしている、桁外れに成功している、実業家の方の話を聞くことがありました。今どきなんで、IT技術を駆使してのビジネス。仕事の中にアナログな要素、ロー・テクの要素はありません。

しかし、対人関係はあるわけで、

会ってみないと分からない

が残るそうです。さもありなん。

「腹を割って話せば」

とは違う。

人と言う存在の神秘、と言うと大袈裟でしょうか。唯物論では語れない存在。唯心論でも語りにくい。
決定論には必ず欠けている視点。

やってみなけりゃ分からない
(やってみたの?)

実際は違う

見てくると分かる

空理空論(では駄目)
 
様々、言い方を変えて、決定論を排除している。

カソリックとマルクス主義、共和党と共産主義の思想闘争の根底にもある、自由意志と決定論との対立。G・K・チェスタトンの「正統とはなにか」「異端者の群れ」あたりには、自由意志とは、が簡潔明瞭に、あの独特のうねりのある文体で描かれています。所謂保守主義が何と闘っているのかが分かる。

※本文とは関係ありません。




かつて神田明神裏の春秋社に度々お伺いしていました。懐かしい。
ちなみにチェスタトン全集は春秋社刊。