佐藤賢一さんの本を読んでいたら、世界史は、三極に分かれるとの事。

西側
ギリシャ→ローマ帝国→西ヨーロッパ
と言う流れ
更に→アメリカ、日本が加わる。
政治と宗教に緊張関係がある、と言った特徴でしょうか。
カソリックかプロテスタントが多い。
東側
ギリシャ→ローマ帝国→東ローマ帝国→ロシア帝国→ソ連→ロシア共和国
ギリシャ正教会。
イスラム
そのままです。6世紀から大版図。
日本ではあまり感じませんが、アフリカからアジアまであります。
の三極。西側に日本は抵抗がありながら、親和性があったのか加わっている。明治維新。
日本が東側、イスラム化する可能性があったような気はしませんね。そうなると、やはり元々の素地にヨーロッパと同質のパターンがあったような。掘り起こされた。
西ヨーロッパがキリスト教会との持ちつ持たれての関係を持っていたのと同じように、日本では天皇と言う歴史の軸は常に時の政府と何らかの関係を持つ。聖俗の共存。
西ヨーロッパは、東側との対立、自立、
それにイスラムの衝撃
更に、モンゴルのショックを受けている。
塩野七生さんも指摘していますが、古代ローマ帝国が地中海世界とまで言われていたのに、ラテン。ヨーロッパは、中心が北に移っているのか?ゲルマンを強調する歴史観なのか?
イスラムに、長い間、制海権を奪われ、地中海沿岸に拠点を置けなくなっていた。
日本では地理的と言うか地政学的と言うか。
イスラムとは接点が少なく、専ら中華世界に影響(反発)を受けていた。
中華文明とは常に対峙していた。
皇帝に対して天皇。
日本は西側に合流していったと言う佐藤賢一さんの見立て。
確かに、同化しようとする愚直なまでの努力は、植民地化への恐れだけでは語りきれない、自身で進んで、望んだ、と言う側面があるような。他の国は必ずしも西ヨーロッパ文明(文化?)を取り入れようとはしない。しかなった。
中華文明をいとも簡単な放棄しようとしているのは、初めから親和性が無い部分、要素が多すぎたからか?
どちらにしても現段階で、ヨーロッパから中東あたりの、古代から中世(便宜上の言い方ですが)の三つ巴の図式、三国志(?)が現代に至っても、大きな歴史を動かす渦となっていると言う見立ては、驚きがありますね。
この見立てを用いると、大英帝国とロシア帝国(所謂グレート・ゲーム)、フランスとロシア帝国(ナポレオン戦争)、日本とロシア帝国(日露戦争)、ナチスドイツとソ連(独ソ戦、所謂バルバロッサ作戦)、アメリカ合衆国とソ連(まさに東西冷戦)、と言った一連の戦いが、西側対東側と言う積年の、永遠の闘いの一幕に見えてくるから不思議です。
※本文とは関係ありません。
