何をすると、こうなる、と言う図式がある。
これが、所謂努力。
努力は美しい
が、効果や評価を求めて努力し、成果が出ない、報われない時には、辞めるべきです。
成果が出ないのは、能力が無い、やり方が悪い。
評価されないのは、大概、評価者と折り合っていない。
と言う場合がある。
こうなると、幾ら努力しても仕方ない。
何を努力するのかは、努力の量と共に成果と関係していく。
この因果関係が無い、と分かると楽です。
この図式は典型的な洗脳。或いは悪夢。
洗脳が解け、悪夢から覚めると、自由な空間。狭い話は終わり、元に戻れない。
かつてこんな事がありました。
「良い」事を奨めるのには、躊躇いが無く、また、自分だけ購入したり、実践するのは、つまり相手に対して、極度にアドバンテージを持つのは悪い事だと確信していた。だから、ひとり「抜け駆け」するのは御法度だった。自分が自分に禁忌を課していた。
だから、良い事をするのは大変だった。必ず、僕を必ず信頼してくれるパートナーを必要としていたから、しかし、パートナーでも賛成出来ない場合がある。或いは、そもそも賛成する気が無い。少しも共同作業にならない。
その場合には、意地でも、何年かかってでも説得した。
しかし、些末な、半日もあれば出来る事すら賛成しない。
かなり、長い歳月。
それなりに、歳を重ねる。
相手が「他人」だと知る。
これが分からなかった。
些末な事すら合わせる気がないのは、
実は、
その程度の関係だと分かる。
知りたくなかった事。仕方無い。気付いてはいた事。
無駄な努力をしていた。
因みに、その「些末な事」は、他の人と楽しくやっている。
「些末な事」ではないと分かっている。
とても、大事な事だと分かった。僕は僕の大切な、大事な事が分からない人には、奨めない事を覚えた。少しも妥協出来ないのは、関係性は薄い。
他人と過去は変えられない。