かつて、久恒啓一さんの、「図」のセミナーに行った時に、かなり啓発されました。

文字の羅列、例えば、構成要素を、書くと恰も、価値が等価に見えたりする。
物の重要度が分からなくなる。
例えば、10項目あっても、本当に大切なのは一つか2つ、構成要素のウェートがまるで違う事があります。箇条書きには、そんな盲点が生まれやすい。



アメリカ合衆国と北朝鮮との対立と言う新聞記事があっても、さして違和感は無い筈、心配する方はいるでしょうが、しかし、実際は国力が違い過ぎる。
恰も、差しで対面している様な。
つまり、1対1で対抗出来ているかの様な、印象を覚えます。

かつては、格が違う、と言う言葉がありました。
同じ、一人でも、ウェートが違う事がある、と言う事。
戦後、昭和天皇をアメリカ軍が六師団の力がある、と見做していた、と読んだことがあります。一人が一人では無い!



対立すると、誰VS誰と言ったケースでは、そこに対立にも持ち込め無い力量の差がある場合も。だから、所謂「噛ませ犬」で、有名な人との対立を通じて、自身を上げていく事が意外とありました。隔絶した力と対決し、自身の力を上げていく。
我ながら、難しいと謂われる、所謂目上との対立を、恐れずにいた事は、我ながら、目の付け所は悪く無かったようです。
「本物」で、対立を回避した人はいません。
互いに手負いの傷を持つに至る、ギリギリの攻防。それこそが、切磋琢磨。
敗れても、強者との戦いは時間差で、レガシーを作り出します。
何もしなかった、のはやはり時間差で致命傷になります。

ドイツは、2度の世界大戦で、2回とも敗戦。しかし、それでも蘇る。

第一次世界大戦敗戦
第二次世界大戦敗戦

年表では、ドイツはこうなりますが、現在はいつの間にやら、ヨーロッパの盟主。
EUとなり、フランスとの連合で、アメリカの勢力を中和し、イギリスを牽制。
ヨーロッパは、流石に、二枚腰三枚腰。
淡泊さはない。
強か。
見方によれば、ドイツと、アメリカ合衆国で、戦前、戦後イギリスを、大英帝国を崩壊させたと見れなく無い。覇権争い。
年表の羅列からは見えない。


※本文とは関係ありません。