年上、年下。

上司、部下。

役職の有る無し。

男か女か。
人によっては美醜。

その辺りで、人を見ているんでしょうかね。

外面的なモノで見ますね。

それよりは、内面。

と言いたいんですが、内面と言うのは外面に出る。

袁了凡の「陰しつ録」にはここが指摘されています。
若き日の袁が、「悟った」かのように、それは典型的な、「誤った諦観」。人生は決まっている、と袁の運命を予言した人がいた。それが見事に当たっていたので、袁は、人生は決まっている。決まっているから、その中で静かに生きていれば良い、と「悟る」。ささやかな幸せ。

雲谷禅師に会い、雲谷は、袁のその様子に、悟りを見、事情を聞くと平静であるが、何も分かっていないと分かる。
日々の善行により日々運命が生成されていく事を諭され、袁は分かり、実践する。
その後、人生は決まっておりあなたの人生はこう展開すると教えられた「占い」の結果が変わっていく。外れ始める。

運命を受け入れ、穏やかに生きていればいい、と言う、つまり外界には働きかけない。名誉やら地位やらは自身の外にあるので、どうにもならない、なので自身の内面(だけ)の充実だけをすれば良いと考えがちな、「平凡」「凡庸」を「終了」したので、名を了凡とする。

人生、思いのまま、或いはままならない、どちらの考え方も、思考停止となり、停滞を生む。


※本文とは関係ありません。