日本は、中華文明を触媒にして、それを「世界」と仰ぎ見ながらも、飲み込まれることなく、憑依志願すらしかねない情熱で取り込むこと千年を軽く超えています。

元号「令和」の出典は日本の「万葉集」。
それまでは、只管、支那の古典を原典に。四書五経。 
今は元号を支那の古典から取ることに躊躇いも、不自然もないと言う感性。
因みに森鷗外には「帝諱考」「元号」と元号に関する著作があります。

最近のアジア圏の漢字の言葉の多く、ヨーロッパの文物の概念化したものは日本語と言う事実。ヨーロッパ→アジアと言う流れはなく、間に日本がある。
漢字を使い、漢字で考える。難しい概念は漢字を媒介にして思考する。それだけではなく、日本として独自に、カタカナ平仮名を使い漢字だけの世界にはしない。感性感覚に響く事は、大和言葉は、やはり平仮名の世界。この構造を示したのが本居宣長。小林秀雄の「本居宣長」には、江戸期の、明治維新を作り出す思想劇が展開されている。革命家を志願した事も、志向した事も無い本居宣長の絶大な影響。明治維新のバックボーン。理論的支柱。

江戸期の、支那の「天」と言う概念も、日本で独自展開し、様々な理論武装してきた「天」「天子(皇帝)」の概念も、「元」の誕生(侵入)に及び揺らぐ。
「宋」で発展した新儒教。「明」すら揺らぐにつれ、行き詰まり、「清」に至っては日本では、王朝の断絶、征服されていく姿を見て、万世一系たる皇室こそ、皇統こそ「天子」だと言う、つまり「本場」よりも「本場」だと言う概念発展し、天皇を「現人神」と見る。一君万民。

中華文明の影響を受けながら、「天」「天子」を思索しながらがも、「科挙」つまり皇帝を支える仕組みは取り入れない。つまり「骨抜き」。儒教の持つ、男尊女卑も取り入れない。「纏足」をしない、させない。これも「骨抜き」。「宦官」を導入する事も無い。

今は、パン、菓子が盛んで、輸出も急増している。小麦粉製品。ヨーロッパ文明の長所、優位性を取り入れている。昔から。
日本は立憲君主制でありながら、イギリスのように主権を国王と国会議員だけにしておくことはしない。君主制と共和制の性質を共存させている。日本はいつでも潜在的には国民主権。
ヨーロッパでは、国は、国というよりも有力者、名家の持ち物。国民よりも名家同士にシンパシーがあった。フランス革命により国民国家と言う形態が主流になりますが。財産の相続が問題になったんです。
本場よりも洗練させ、進化させる事に躊躇いはなく、しかも、日本人の感性に合わないものは入れない、定着しない。独自進化する。

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