田中秀征さんの「自民党本流と保守本流」と言う本があります。
保守本流とは、自由民主党の左派。宏池会が代表し、それを支えるのが、旧田中派木曜クラブ、後の竹下派所謂経世会の流れ。メイン。
つまり「吉田学校」。
吉田茂自由党総裁のメンバーも流れ。つまり大英帝国が日本によりアジアから駆逐され、その後アメリカ主導の世界になってからの親米政権。
池田勇人(宏池会創立・安岡正篤が命名)と佐藤栄作。60〜70年代の保守政権全盛期を作り出します。
佐藤栄作は、自由民主党のまさに本流。結党時こそ参加していませんが、実兄の岸信介が民族派とでも呼ぶべき存在で、自由民主党結党時のメンバー、創設者の一人。兄が後見人として存在した結果、完全な吉田茂路線ではなくなった訳です。
そして、田中秀征氏の卓見は、この親米親中と言う保守本流と言う勢力と、自由民主党のそもそものレゾンデートルたる自主憲法制定つまり憲法改正と自主防衛、再軍備と言う所謂保守を目指す勢力が、反共と言う面では揺るがない一致を見るものの、体質的には相容れないが一致する場合には長期政権になりやすい、と。
かつての福田赳夫と大平正芳が福田総裁が総理時代に総裁選を争いましたが、背後にいる岸信介と田中角栄の方向性には違いが透けて見えます。特に、中華人民共和国とのスタンスは真逆。
従って対立します、肌が会いません。
この大平正芳が勝利した総裁選は、福田総裁と大平幹事長と言うあり得ない組み合わせの選挙。これと言った失政が無いのにも拘らず激突。
昭和の長期政権の長期政権は、この保守本流との自民党本流が融合さている時には起きる。
つまりどちらの陣営も寄らない、或いはどちらとも関係がある。
佐藤栄作、典型的な保守本流ですが、実兄が岸信介と言うことで自由民主党本流が支えます。
中曽根康弘、この方は、自由民主党本流の要素があり、岸信介氏が期待していました。そして内閣には田中派を大量に起用し、保守本流が基本的には政権を担う形になっていました。
つまり、戦後政治の基調は、基本リベラル!
中曽根康弘内閣からは、新保守主義の手法を採る内閣も生まれましたが(橋本龍太郎内閣、小泉純一郎内閣)
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