まことしやかに、国民国家の神話は終わったと言われて久しい。
フィクションだと。

底流にあるのは、冷戦構造後、或いは「平成」を彩るリベラル的な雰囲気。

イギリス労働党がニューレイバーとして変わり、労働組合から距離を置く、トニー・ブレアを首相にするに及び、決定的となり、経済政策は新保守主義が基調。どの国でも社会主義などの非開放経済はあまり見られなくなりました。

しかし、リベラルの風潮は強く、アメリカではバラク・オバマを大統領にするまでになる。

「国民国家」所謂国(クニ、国籍、民族)に拘るのは、駄目で、それを超え、何処でも暮らせるのが優秀とされる。
ドメスティックさは無能に近いニュアンスを帯び、地元愛を持つ者はヤンキーと分類される(笑)
すなわち、国やら地域に拘るのは、遅れている、次元が低い、薄めて話しても、志が低いと見なされがちでした。
消費では、製造メーカー、産地は、外国産に対して偏見を持ってはいけない。
正確に言うならば、国産に拘ってはいけない。身びいきは御法度!と言う「公平さ」が求められました。「安さ」だけで判断しろ!

しかしながら、ここに来て、オバマからトランプと言うアメリカ大統領の交代、それに伴う経済政策の変化が起こり、それが逆に少なくてもロナルド・レーガン、本質的にはリチャード・ニクソン大統領からの「一貫」した流れがあった事がわかります。

政治的には保守、経済的にはリベラル。

経済の膨張により、巨大企業の活動により、国家の機能を低下させる。
「問題が在る経済政策があるのではない、問題は政府自体だ(ロナルド・レーガン)」
国境はなくなるべきで、国民と言う概念は便宜上で、国家は溶解していく。
そんな事がまことしやかに言われていましたがそうにはならない。

国民国家と経済に対立がある場合、必ず国家が勝っています。
その逆は、どこの国にも見出だせない。そのような歴史は無い。
政治軍事の優位と言うべきか。
国とは有名無実で、国民と言う概念は無い、つまり日本やら日本人とはフィクション、だと言う考えはなかなか現実味が無いのでは。


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