知識をひたすら集める。ただただ経験を積む。

雌伏、下積みの日々。

知識と経験とが、いつしか無い混ぜになり、そこから何かが溢れ出す。

発酵とでも言うべきか?

知識と経験はその架け橋を作り、素材として発酵し、旨味を出す。

経験(身体)と知識(頭脳)との往復が、独特の風味とも言える個性を醸し出す。
醸し出す前だと、素材の発酵が始まらない。素材は単に劣化するだけ。
始まれば、後は素材の旨味を楽しむ。

発酵前ならば、何も起きず、ただ素材があるだけ。
素材そのものの美味しさと言うのもあるが。

知識は自分と言うフィルターを通じ「加工」され、経験は知識と結びつき「抽象化」され、「概念化」される。
経験と言う「具体性」を絶え間なく増やし、すでに「概念化」している経験と照らし合わす、往復する。

作業は自然とオートマチックになる部分が出来、「効率化」する。朝飯前。体が覚えている。

「意識」さえすれば、誰にも起きる事。

「天才」に備わっており、「名人」「達人」に極地を見、「職人」の美の源泉となる。


※本文とは関係ありません。

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