クラシックは、ヨーロッパと言う文明があった証拠であり、他の文明には無い特長です。特に古典、ロマンあたりの曲はその特長がありますね。

文学、哲学は、他の文明にも無い事はありません。
ヴァガバッド・ギータ、源氏物語、紅楼夢、死者の書、、、。
しかし、ある地域で纏まった形で、楽譜と言う形で、万国共通で聞き者に感動、快感を与えるものはありませんね。確かにロックならば、聞きなれなければ、単なる爆音、雑音なので、そこに見えない権力をも見る事が出来るかもしれません。リベラルの人の言説を使うならば、「制度」。いきなり、子供が、予備知識なくブルーノ・マースや、ゼット、マルーン5なんかは聞いても良いとは感じないのでは?聞き慣れれば格好いいんですが。
しかし、クラシックならば、マーラーやドビュッシー、ストラビンスキーは、違うと思いますが、それは価値が無いと言う意味ではなく、あまり一般的ではないと言う意味です、ヴィヴァルディ、ヴェルディ、ハイドン、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ワグナーならば、そこに普遍性、久遠の価値を置いてもいいと思います。
主にイタリア、ドイツ(正確にはオーストリア)からの発信です。
文学も、特にアメリカ文学。
エドガー・アラン・ポーがフランスのボードレールを刺激し、イギリスのディケンズを刺激し、更にはコナン・ドイル、日本の江戸川乱歩を刺激する。耽美と推理小説の形式。
マーク・トゥインの語り方が、ロシアのドストエフスキーを刺激し、あの喋りまくる、躁状態(?)の小説空間を作り出します。
更には、ウィリアム・フォークナーの所謂ヨークナ・パトゥーファ・サーガは、日本の大江健三郎、中上健次にその語り方が影響を与え、アルゼンチンのガルシア=マルケス・ガブリエル特に「百年の孤独」の誕生にも影響が。
※本文とは関係ありません。
