歴史は、

司馬遷の「史記」の形式に基づいて、記載されているケースが多いですね。

「史記」自体、成立の過程からして、漢帝国の成立の正統性を説くためのイデオロギーに基づいていると言ってよいです。


覇権の移り変わりとして捉える見方。

それを、日本の歴史学は、西洋史に応用しました。
 
殷、周、秦、漢のように、

スペイン、オランダ、フランス、イギリス、アメリカと覇権が移動していく過程として歴史を捉えることとしたんです。

その力の根源、実態を捉え、日本がキャッチアップするための材料として捉えていたんでしょうね。「歴史」を使うために。

だから、ビザンチン帝国、モンゴル帝国、オスマン帝国、神聖ローマ帝国、オーストリア・ハプスブルク帝国、ドイツ帝国と言った国々は、最近まで、かなり手薄感がありましたね。

ビザンチン帝国やオーストリア・ハプスブルク帝国は、現在のアラブやバルカン半島、移民難民と言った難しい課題、神聖ローマ帝国ならば現在のEUやドイツがその焼き治し、再現するモデルとしてみる事、モンゴル帝国ならば、現在がヨーロッパアメリカ日本と言ったモンゴルの支配を受けなかった地区を中心に動いていると言う事実に関心を持つと発見があるかもしれませんね。

今ならば、アメリカに帰結するのが、歴史となっていたんですね。
少し前ならば西ヨーロッパにいたるのが歴史だと。なぜかフランス革命の研究は、自国フランスについで日本が盛んとの事(笑)「おフランス」が残っている?

イスラムやらアフリカは、イスラム教の成立、伸長、と来て、いきなり十字軍の侵入、奴隷貿易、アフリカの分割と記述されたり、ムガール帝国、オスマン帝国、清帝国隆盛を誇る記述は軽めでいきなりイギリスの侵略、への降伏と言う記述になる。アジアのヨーロッパへの劣勢がここ200年くらいのことだとは描かれない。

昔からヨーロッパは強国だったかの記述。

ローマは永遠だったかのような記述。

かのローマ帝国ですら、実はヨーロッパを中心としたローカルな帝国で、

世界展開

グローバル化したのはイスラム、モンゴル、西ヨーロッパくらいです。


しかも長い歴史では、一時的です。

所謂
世界史はモンゴルから始まる


です。それまではローカル史だと。


最近は、近代化が大概の国で経験され、ヨーロッパの優位を声高に言う必要が無くなっていますが。しかし憧憬と未来のモデルとして捉えた見方は今のところ間違いではなかったのではないのでは。


1年間のリーディングありがとうございました。