よく見ると関心があることは各人違いますね。

その人からすれば垂涎ものでも、他の人からするといらないを超えて、嫌いと感じることすらあるのは実感しているのではないでしょうか。

と言うことは自分はいらないと感じているものを他の人は必要としているかもしれないと言う想像が働きますね。

自分が負担、嫌いと感じているものを人にすすめることも出来そうです。
イエス
とは言ってくれるとは限りませんが、喜ばれる可能性はありますね。

東洋的な感受性では、人に嫌なことをしないと言うものがありますが、かなり静的で、消極的と言うか惻隠の情と言ったものを連想させる優しさのあるもので、その対極には西洋の、キリスト教の、人に良きことをしてあげなさいと言う言葉がありますが、良きにつけ悪しきにつけダイナミクスを支える考え方ですね。最近ではどこの国の商人もこの考え方で動いているでしょうが。