個人史を語っている。
とてもわかりずらい込み入った話を一般的な常識と絡めて要所要所を端折りながら会話をすることは気の置けない友人よりも普段長い時間仕事をしている人とした方が多分に双方向なコミュニケーションになってその非建設的な要素を薄める免罪符となるかもしれない。
なにかしら意味がある、と。
『愚痴』
と言う名の甘美な自己憐憫には抗し難い衝動にも本能にも似た言い知れぬ感情の表出を伴う。
時折
見かける
本音と言う名の、
時に
告白と言う名の、
その心の痛みの表現は勿論共感するところがないわけではないけれども
同意もできない!、
を前提に語ると。
最近、
個人史が個人史として語られています、と。
全く共感出来ません。
原因は語るスタイルに特長があった。
自分だけがこんな
体験をしている、
と言う口調だ。
俺たち大変だよね、
ではなく、
僕はつらい、
と言う内容。
少しでいいから
抽象的にしてみたら?と
言いたくなる。
なにが会話に欠けているのか?
シンパシー。
自分だけしか訪れない個人的な悲劇はあるかもしれない。
いやっ。
ある。
けれども、
大概は人類が、
友人ですら体験しているはずの
既知の世界の出来事。
『僕たち』
の問題を語ってくれれば、
協力も共感も出来る。
生老病死ならば誰だって持て余す。
大変だ。
他人のそれだってなんとなくは分かるもんだ。
それに比べ、
自分にしか訪れない個人的としか言いようのない悲劇は本人にしかわからない。
内容も解決策も。
そもそも解決策があるのかも本人が問い掛けなくてはいけない。
『個人的な体験』は追体験を拒むのだ。
共感は不可能なのだ。
それが個人的の意味するところ。
人類は大概の体験はしてきたと考える。
そして
曲がりなりに生き延びてきたと言う事実がある。
無数の不確定要素を克服して今日がある。
生き延び方は
生活の中に宿っている、
と考える。
とてもわかりずらい込み入った話を一般的な常識と絡めて要所要所を端折りながら会話をすることは気の置けない友人よりも普段長い時間仕事をしている人とした方が多分に双方向なコミュニケーションになってその非建設的な要素を薄める免罪符となるかもしれない。
なにかしら意味がある、と。
『愚痴』
と言う名の甘美な自己憐憫には抗し難い衝動にも本能にも似た言い知れぬ感情の表出を伴う。
時折
見かける
本音と言う名の、
時に
告白と言う名の、
その心の痛みの表現は勿論共感するところがないわけではないけれども
同意もできない!、
を前提に語ると。
最近、
個人史が個人史として語られています、と。
全く共感出来ません。
原因は語るスタイルに特長があった。
自分だけがこんな
体験をしている、
と言う口調だ。
俺たち大変だよね、
ではなく、
僕はつらい、
と言う内容。
少しでいいから
抽象的にしてみたら?と
言いたくなる。
なにが会話に欠けているのか?
シンパシー。
自分だけしか訪れない個人的な悲劇はあるかもしれない。
いやっ。
ある。
けれども、
大概は人類が、
友人ですら体験しているはずの
既知の世界の出来事。
『僕たち』
の問題を語ってくれれば、
協力も共感も出来る。
生老病死ならば誰だって持て余す。
大変だ。
他人のそれだってなんとなくは分かるもんだ。
それに比べ、
自分にしか訪れない個人的としか言いようのない悲劇は本人にしかわからない。
内容も解決策も。
そもそも解決策があるのかも本人が問い掛けなくてはいけない。
『個人的な体験』は追体験を拒むのだ。
共感は不可能なのだ。
それが個人的の意味するところ。
人類は大概の体験はしてきたと考える。
そして
曲がりなりに生き延びてきたと言う事実がある。
無数の不確定要素を克服して今日がある。
生き延び方は
生活の中に宿っている、
と考える。