甲野善紀氏



村上春樹氏
の著作を合わせたようなタイトルをつけたのは必然だったようで、
このふたりは入口は違いますが身体論を出版し、

かたや古武術、

かたやマラソン(ジョギング?)

を通じて、生活と身体の関係を探っていらっしゃるように見受けます。

身体なくして生活、ひいては人生もない
のですが
ついつい鍛錬はおろそかになりがちになりますね。
身体をあまり使わなくても生活できてしまう

と言うのが根本の原因です。
身体を使う必然性に乏しいんですね。

便利

に囲まれているわけです。

デスクワーク
しかも自身かなり若い、
仕事は面白い。

こう言うシチュエーションは誰も止める必然性を持ちません。
仕事
と言うのは誰にとってもある程度重要ですし、
所謂
良いことに分類されていますね。
辿れば江戸時代鈴木正三に代表される資本主義の精神、信仰の実践と言う要素を持ってもいるので、
モラルの面でも、
金銭的な意味でも、
『止めたら』
とは自他共に言いにくいものです。
でも、
勤労を徳目に入れたベネディクト修道会のモットーは
『祈りかつ働け』です。

単に
『働け』ではないんです。
(「労働について」
渡部昇一氏の
『文科の時代』にあります)
意訳して言えば
肉体労働と頭脳労働をしなさいと言うことです。


それで、

マインド

ボディ

と言う対比をした場合に、マインドが勝ってしまう傾向があります。

勝ちたい
とか
面白い
とか
やらねばならぬ
とか
言う
気持ち、
本能、
義務感、
論理的な思考の帰結などが
過酷な労働、スポーツに身体を追い込むようなシチュエーションです。

身体の声は、
マインドに声を掻き消される場合が多い
と言うことに気がついたほうが良いですよ。

心技体。

身体だけが自分ではありません。

マインドだけが自分ではありません。


いつまでも歌える
こころと
魚に触れるような
しなやかな指を
持ちなさい
by井上陽水