『個性』
はかつてもてはやされていましたが最近はどうなんでしょうか。

『個性』
は明らかに個人的なもので、
あえて言えば
教育
と関連があるはずなのに、
なぜか
経済
の文脈で語られすぎていました。

Quality
Life.

ですね。

高度情報化社会とか高度資本主義社会とか言っていましたが
ようするに

家族単位
で経済生活をしてはいけません
=3世代モデルの否定
(3世代モデルを維持しようとしていたのはかつての自民党です、
参考までに。
核家族では福祉財源が無理があると指摘していました、
今はどうなのでしょうか)

あるいは
しない方がいいんだと言う洗脳です。

弱者を細分化しようとしていました。

分けなくてもいいものを分け、
一緒にすればいいものを別々にしていくわけです。

所謂マスコミと呼ばれるものは
人が交わる際の不快さを執拗に強調し攻撃していました。

まあ破綻した考え方ですね。

かなりの強者以外は連携連絡をしてお互い助け合っていかないといけないんです。

自分でなんでも出来ます。
だから付き合いは最低限にします、しません
と言うのは
スマートな生き方ですが、

それは

個性ではなく、

まして

自立でもなく、

『孤立』です。

経済での
自立独立は英語では、

Independece
で基本的には不労所得つまり金利生活が出来ることのはずです。普通の人には関係のない概念です。橋本治さんは
自立とかは言わないで

『一人前』と表現していました。
さすが。
(人減らしを
意図的に言い換えているのはよく目撃しますね。

自主的に運営する

と言う言い方になりますね)

さておき、

個性とは

社会とやらが色々と要求してくる。
上司が強要してくる。
家族がうるさい。
などの諸問題あるいは大問題(笑)があるのにも
拘わらず噴き出てくる、
譲りたくても譲れないと言う部分だと認識しておくといいと思います。

そして恐いのは
意識しないで
無視しておくと
かなり不毛なエネルギーを自分に向けていくことです。

自分がどう感じているのかと問うこと

自分は適応出来ない=譲れない部分があると知っておくことが大切です。
譲れない部分があるのは当たり前です。