言い争いになった。
言い返さなくても大丈夫だ。
今日は余裕。
ああは言っているけれどもあの人も考えがあって言っているんだろう。

いい感じで
自分を観察出来ている。

ふっとした瞬間。
ちょっとした言葉、仕草に反応している。
(なんだと!
なんだ!)

カチッ

とスイッチが。
スイッチが入り、言葉が口から出てきてしまう。唇は怒りに震えている。
言い返さなくてもいいのにとうっすらとわかっているのに。
こういう経験はあるのではないかと思います。
あってももちろん

いいんです!
(川平慈英風)

が、

ないに越したことはないですよね。
口論なんて材料はいくらでもあるし、口論して
気分の高揚
と言うか
興奮してもなにもないですからね。
本当に

刺激

だけなんですよね。
でも、
この刺激と言うのが曲者なんですよね。
刺激
ってなんでしょうか?
実は
実はですよ
なんていいましょうかね
(焦らすね~。)

依存なんです。
なんに対して?

中毒

なんです。

もっともっとなんです。

だから
ですよ。

中毒なんだから

飽きるくらいやるか
または、

初めからしないと覚悟を決める
しかないんです。

怒らない、

現実的には怒りますが(笑)

そう決めるんです。
そうすると

怒らなくなるんです。
(当たり前か)

怒りを表現しないでいると言うことになります。
でも、怒りは感じているわけです。

これが

感情が豊か

と呼ばれる状態なんですね。怒りの場合は
はらわたが煮えくり返っている、と言う言い回しになるわけです。

そして、

することは自問。

自分はなにに怒っているかと自問する。怒りには必ず相手がある、対象がある。
本当はどうしたらいいのか?
どうあったらいいのか?
相手にどんな期待をしているのか?

自分はどう変わればいいのか?

相手・対象を受け入れることです。
『受容』です。