諦めること
がブームのようです。
小さな悟り
と捉えているようです。

諦めるとは
語源的に言えばあきらかにする(明らかにする)と言うことらしいですね。

英語で言えば
Clearですね。
積極的に奨めている講師・導師(?)もいたりしています。

なかなかの
『意見』じゃないかとは思います。
職場家庭でなかなか諦めさせてもらえないから書物である種の逃避をしているのかもしれないですが(笑)

先日ワールドカップサッカーの試合のテレビ中継を見ているとさかんに
『フィジカル』
と言う単語が連呼されていたのを覚えていると思います。
使い方は
『フィジカルで負けている』とか
『フィジカルが強い』とか。
結論的には
『フィジカルの差がある』から勝てなかった

みたいな言い方でしたね。

それで

仕方ないよね、
負けちゃったね

みたいに捉えるのは諦めることではありません。

これを話題に話すと
『フィジカルが弱い』
判断して分かることは諦めることですか?

明らかになったのは
メンタル面・作戦面・バックアップの対策より

『フィジカル』の充実が急務だ

と言うことですね。
つまり

『フィジカル』の一層の強化なしには世界レベルで対抗できないと言うことで

なにを諦めるのかは
今までのやり方でワールドカップに参加出来ると言う見込みを持つこと

で、

今までのやり方を続けるのを

執着

と言います。

これは(問題)になります。

若い者(自分を含め)が
諦めた
と悟るのはあくまで必死の精神的肉体面な努力の後です。

これを

当たり前

といい、

スピリチュアル系の本が意図的としかいいようのない避け方をしている部分です。
なにもしない、
少しかじった程度で辞めることで諦めるのではないのです。

健康金銭の問題等で物理的に不可能になった場合などが諦めると言うことですね。
難しいではありませんよ。
不可能ですよ。

不可能だとわかる。
つまり
(人・物事に)
縁がなかったとわかる。
これは悲しいことですね。