不思議話シリーズ その2


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今回は、第二回🌸
1章の途中まで、掲載します。

    目次


0章 はじめに

1章 不思議なこととの出会い―幼少期―

 ・不思議なこととの出会い―幼少期―

  ・生まれ変わりのしくみ(ざっくり)

 ・釈尊とキリスト→疑い抜け

2章 特に大きかった出来事

1.八坂神社 (実は時間は前後) ―プレゼント・道標という説明―

2.ある平安歌人の過去世

3.その他

4.大神神社

    科学が追い付く 光が本当に映る

3章 雑多に徒然なるままに

 など。追加予定です。



 

1章 不思議なこととの出会い―幼少期―

 

 私の自己紹介を少しだけしておくと、一般家庭から僧侶となったものである。

 特に継ぐお寺があった訳でもなく、自ら進んで僧侶となったものであるが、

 「今どき珍しい。何故?」と聞かれることばかりであるが、

 それこそ本章にて説明したい「わたしと不思議なこと/向き合い方」という話である。

 順を負って、説明していこう。


1-1.過去世の感覚や天声と共に

 私は0章にて少し触れたが、こうした不思議なことや宗教といったものに対して、

 むしろ非常に疑い深く生きてきた。

 それはそうであろう。

 過去の色んな伝説や、今存在する訝しい霊能者の話など、どう見ても迷信であったり、

 勘違いのようなものばかりである。

 加えて私は1996年の生まれであり、これが何を意味しているかといえば、

 前年1995年はオウム真理教の地下鉄サリン事件があった年であり、

 そうした宗教的なものや神秘的なものに対してより一層不信感が抱かれ、

 あるいは嫌悪されるような時代のなかを育ったものであるからである。

 この時代の多くの人が、強固にそうしたものを遠ざける気持ちと、私はそれほど異ならない。


 ただ少し異なった点が、本節で説明することであるが、

 私は単に疑い深いというだけではなく、その反面どうしても疑いきれない人間であった。

 それが何故かといえば、その最たる理由が「私自身が過去世の感覚や一部の記憶と共にあったり、

 ときどき天啓のようなものを感じ受けてしまう子供」だったからである。


 現代人からすれば訝しいことから始まるのでどうにもならないのであるが、

 これはわたしにとっては紛れもない事実であって、

 またそれを最も傍で見ていた両親が感じるところであると思うのである。


 何歳からかと言われれば、それがそれほど明確ではないのであるが、

 少なくとも3歳頃にその自覚があったことは明確に覚えており、

 テレビで初めて天皇陛下を拝見したときに、天啓もあって、

 自身の過去世も、ごく普通の記憶として混在していたことを覚えている。


 私からすれば、それがむしろ普通のことであるから、

 周囲の人間がおおよそそうではないということが分かっていなかったし、

 これが当たり前だとすら思っていないような状態で、

 普通にその通りに生きていただけのことである。


 その主たる記憶は僧侶であって、

 山中を駆け巡っている僧侶の姿が最もよく近くにあって、断食したりしたことを覚えていた。

 その彼が、この身体は過去世の断食によって得たものが反映されているから、

 周囲がいかように言おうとも、そのまま生きればよい、と言っているものだから、

 本当に食が細く、親や親類が実に心配して食べさせようと試みていたが、

 まだ言葉を話せぬ幼児ながら、内心でそのことを説明していたものである。



 他にも(今思えば)不思議なことは沢山あって、

 例えば、あるときにはテレビで吉野ケ里遺跡の放送があったときに過去世の私が歓喜し、

 その甕棺に食いつくようにはまったり、当時の生活をよく思い出していた。

 庭にあっては、前方後円墳を作り、石を積み、掘に水を流して、満足していた。

 ここで面白いのは、それを作って何をするかといえば、周りをトミカ等で回って遊ぶのである。


 コラム:生まれ変わりのしくみ(一部)

 ここで今の私であるから分かっている「生まれ変わりのしくみ」の一部について説明しようと思う。

 何故、前方後円墳を作りながら、トミカ等でその周りを回ったり、

 僧侶の記憶がありながら、その事情を親に言葉として説明できないのかといえば、

 この身のわたし/皆さんというのは、過去世までの私と、この身の私が、

 あたかも二重螺旋構造のように、合わさって出来ているものだというのが真実だからである。


 後にも説明するが、わたしはあるときから、そうした私自身のことを信じられなくなり、

 自分自身で疑い続けてきたのであるが、この当時のことが長年理解できずにいた。

 恐らく世の中で、輪廻転生が信じられなくなっている理由の大きな一つだと思うのであるが

 生まれ変わるならば、

 ・なぜ、その当時のままの記憶で出てこないのか。

  →つまりそのまま出てくるならば、いきなり言葉も話せるのではないか、

   いきなり大人のようにして生きられるのではないか、といった疑問である。

  ※ついでに他の疑問を付しておけば、

  ・なぜ、過去世の記憶は忘れてしまうのか。

   或いは、なぜ過去世の記憶を思い出す人と、忘れている人がいるのか。

  ・生まれ変わるとすれば、元の墓にたましいがいるとして、そこは空っぽになるのか。

  ・他宗教では生まれ変わりを言わない宗教もあるが、どうなっているのか。

  ・輪廻といえば六道が有名であるが、本当に地獄など存在するのか。

                                なども挙げられるであろう。

 

 この疑問はもっともなことであり、私自身においても大きくなって分からなかったことであるが、

 僧侶となってあれこれと経験したり学んでいくうちに、わかったであろうことである。

 それが先程簡潔に説明した、

 「過去世までの私と、この身の私が、あたかも二重螺旋構造のように、合わさって出来ている

 ということである。




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