高安病に関する学会の発表論文をネットで久しぶりに調べ直していたら、

「発症後5年間の生存率は平均で80-90%」

というコメントを複数の論文で見ました。

又、Amebaブログでの同病の方の記事に「自分が高安病で入院中に、同じ高安病で入院していた患者さんが死亡した」ことも書かれていました。

 

高安病が発症してから2年半になりますが再燃も含め、現在もCRPが基準値を外れたまま、頸動脈の壁肥厚も厚いままで、脳梗塞の危険に怯えながら、そして鎖骨と頸動脈付近の痛みを日々リアルに感じながら往復3時間の通勤と、情け容赦の無い(笑)お仕事[=>時差のある欧米とTEL会議する時に特にヘロヘロになります。朝8時からアメリカと、夜9時からドイツと]を続けていますが、突然の眩暈でJRの駅で卒倒しかけこともあり、「いつまでこの病気の症状と闘わなくてはいけないのかなあ?」と、落ち込むときは思い切りへこんでました。

 

だからと言って、安易に自分で自分の命を断ち切るなんてことは、自分を産んで必死に育ててくれた両親に対する最大の親不孝なので絶対に、絶対にしない。

でも、命を保つ為だけで精一杯で、日常を臆病な心だけで過ごしたり、「どうせ自分は難病持ちだからこれ位しか出来なくても仕様がないんだ」という後ろ向きな考えにいつもいつもとらわれているのにはもう耐えられなくなっていました。

 

もしもこの病気の症状が悪化して、そしてこの病気が原因で亡くなる時が来たとしても、そして、その結果、自分の生きてきた時間は健常者の時間に比べたら短かったとしても、

①これまでの人生を通じて色々な人に出会い、心から親切にしてもらったことがあり、

②知り合えた人達と、自分が属している社会の為に自分の側からも少なからず何かでお手伝い出来たり貢献出来たことがちょっとでもあり、

③多様な人生を切り取って見せてくれる素敵な映画、心の中にまっすぐに入ってきて悲しくないのに自然と涙が溢れてくる美しい音楽、荒れてしまった心をリセットしてくれる絵画、短い文なのに小説よりも雄弁に人生の真実を照らし出す詩などに巡り合って心を揺さぶられたことがあり、

④自分の祖母、祖父だけなく、御会いしたことも無い日本人の祖先の方々が脈々とこの国を守り、慈しんできてくれたことに対する感謝の気持ちを素直に持つことで、自分が昔の日本人と心で繋がっている感覚を持つことが出来る様になった

等々のこと

考えれば、

「生きて来た絶対的な年数そのものに特に意味は無く、どれだけ毎日の生活を感謝の気持ちを持ち過ごせるかが一番大事なのではないか?」

という、当たり前と言えば相当当たり前過ぎる考え方に辿り着きました。

                                                                        

2年前に、アジアでの駐在が終わり日本に帰任することが決まった瞬間から日本への帰国日までの間(約2ケ月間)に、

それまで何気なく見てきた何気ない街並み、市場でごった返す市井の人達の表情が急に愛おしく見えた感覚に、今の自分の感覚が似てきていることに気が付きました。

 

以上、とりとめのない雑感(タワゴト?)でした。

 

暑い夏ももうすぐ終わり、涼しい秋は必ず来ます。

 

明けない夜は無い。

 

p.s.

昨日、通勤する時に乗った都内のJR山手線の車内の広告が全部、一枚残らずパラリンピックを応援する広告でした。

(携帯で写真撮る余裕無かったので添付はネットで見つけた写真です🙇)

広告のフレーズは下記。

「地球の裏まで想いは届くと信じたい。非科学的でも。」
「応援してるほうが、もらってる気がする。」
「勝ち負けだけじゃない。人生とたぶん同じだ。」
「勇気をもらった。ぼくらにはなにを返せるだろう。」

 

世界中から集まるパラリンピック選手の皆さん、頑張って下さい!

 

青空