アンニョンハセヨ
また暗い話になってしまうけど、今月15日でセウォル号の一件から1カ月が経ちました。
朝ニュースで、犠牲になった子供の事故発生直後の動画を見たお母さんの悲痛な叫びを聞いてまた悲しさで胸がいっぱいになりました。
まだ20人の方が見つかっていないそうです。
遺影を胸に行き場のない怒りと憤りを叫ぶご遺族の方の様子を見て、船の運航会社オーナーやその家族はこの期に及んで自分の身を案じることしかできないのでしょうか?
事件自体も恐ろしいけど、その裏で動いていた人間の恐ろしさも痛感しました。
今更罪を償ったって時間を戻すことなんてできないけど、
どうか今できる限りのことをして償ってほしいと思います。
まだ見つかっていない方々がご家族や恋人、友人の元に戻れますように。
ご遺族の方々の傷が一秒でも早く癒えますように。
うぅっ…こんな悲しい気持ちを書き綴ってしまってすみません…
でも普段韓国に楽しませてもらったりしているので、せめてお祈りだけでも一緒にしていただけたら、と思います
さて、今日は韓国で会った大切な人たちの話をします
韓国ではたくさんの大切な人に出会いました
チャドゥは韓国にいる間かなり金銭的に苦労した生活を送っていました(自分で選んだ道だけど)
月25万ウォンのボロくて狭くて小さなベットとノートパソコンくらいの大きさしかない机があるだけのコシウォン(めぞん一刻みたいなアパート?)に住んでいました
その時は午後から5時間ほど勤務する韓流サイトを運営する事務所でお仕事をさせていただいていて、お給料は50万ウォンでした

そこから電車賃(韓国ではお昼ご飯代はくれるところ多いですが、交通費は自腹ってところが多いです)と携帯電話料金(その時はチャージ式で月3~5万ウォンくらいだったかな?)を払い、3か月後に旅行に来ることが決まっていたチャドゥママに上げるお小遣いを貯金し…
としていたらそのほかの生活費が全く残りませんでした
なのでそこからエステ店での通訳や単発の翻訳、家庭教師の仕事をして、多いときには4つの仕事を切り盛りしていました
一日中休みなんて何か月もなくて、「なんか芸能人みたいじゃない?(笑)」と、途中妙なテンションになったり…w本当、貧乏暇なしです
ご飯はエステで作ってくれるまかないか、コシウォンの共同キッチンにあるご飯がほとんどでした
エステで院長が作ってくれるご飯はとってもおいしく、気を使ってたくさん食べさせてくれたのですが、毎日言ってた訳じゃなかったのでそれ以外はコシウォンのいつ炊いたか分からない黄色っぽいカピカピのご飯を食べていましたw
でもこれもあったらましな方で、タイミングよく行かないと同じ階に住んでる中国人の子たちに食べられてしまいます
無念…
そんな感じでご飯争奪戦に敗れ去った日はインスタントラーメンを食べてしのぎます
しかも麺だけ食べて、つゆは残しておいて後日ご飯を手に入れた暁にクッパ(スープご飯)としてチャドゥの胃を満足させてくれてました(///∇//)
掃除に洗濯もして、気づいたら「今日ご飯食べてないわ…明日はエステだから食べれるかな?でも週末だから忙しくて食べる暇ないかな…」なんてことを考えながら眠りにつく日もありました
そんな中で事情を知ってくれる人たちはキムチをくれたり(貴重なおかず
)、
食事をごちそうしてくれました
あれ?食べ物だけ?(笑)いや、他にも色々です
1年くらいそんな生活をして、本当に限界が来てたみたいで
エステの院長に「どうしたの」と一言聞かれ、その言葉で勝手に涙があふれてきて
「저…그만하고 싶어요チョクマナゴシッポヨ辞めたいです」
と言ったことで生活が変わりました。
院長は「好きな時に来ればいいから」と言ってくれて気持ちも軽くなり、
メインの仕事として面接に行ったカラコン販売会社で仕事させてもらえるようになり
十分な給料をもらえるようになりました

エステとカラコン会社二つのかけもちをマイペースに続けさせてもらい、ついに念願のワンルームに引っ越すことができました

引っ越しもできるだけ自分で運んでいたけど、院長が車を出してくれたり、友達が荷解き手伝ってくれたり…
本当にありがたかったです
そんな貧乏女チャドゥを支えてくれたのは友人や院長だけではなかったです
そう、貧乏なくせに生意気に彼氏もいました(笑)
日本語の先生をしていた時の生徒さんで、貧乏で忙しいチャドゥの話をいつもニコニコしながら聞いてくれ、
時間があえば色々なところに連れて行ってくれました
彼の友達との飲み会でチャドゥが飲みすぎて吐いても、
外にあるトイレが怖いからついてきてと頼んでもいつも優しく「はいはい」って付き合ってくれました
最近日本の男の子にも合うようになったのですが、きっと同じことをしたら引くだろうな~って思うことも嫌な顔せずにしてくれました
(多分彼だけじゃないです
割合的にそーゆー人多いと思います
)

その節は本当に色々ありがとう…
君のことは忘れないよ。(彼とは今も友達として連絡してますw)
まぁそんなこんなで韓国で極限の状態(←大げさですがw)になったから見えたものって本当にたくさんあったし、
いい経験ができたなって思います
日本に戻ってきて家族と暮らすようになって生活に困るなんてことなくなったのに
すっかり貧乏癖が染みついているのか、チャドゥママや久しぶりに会った友達には「ケチ」と言われるようになりましたw
これから韓国に留学行く人は、お金はできるだけ持って行かないでサバイバル生活を送ってほしいと思います
お金があって怠けたり楽しいことばかりしている内(チャドゥは交換留学時代こんな感じでしたw)には絶対に見ることができなかったものを見ることができると思います
そんな時にでも近くにいてくれた人たちはやっぱりありがたいし、
思い出すのはそんな人たちです(≡^∇^≡)
日本でもそうだと思うけど、韓国人の【情】を感じてみてください
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また暗い話になってしまうけど、今月15日でセウォル号の一件から1カ月が経ちました。
朝ニュースで、犠牲になった子供の事故発生直後の動画を見たお母さんの悲痛な叫びを聞いてまた悲しさで胸がいっぱいになりました。
まだ20人の方が見つかっていないそうです。
遺影を胸に行き場のない怒りと憤りを叫ぶご遺族の方の様子を見て、船の運航会社オーナーやその家族はこの期に及んで自分の身を案じることしかできないのでしょうか?
事件自体も恐ろしいけど、その裏で動いていた人間の恐ろしさも痛感しました。
今更罪を償ったって時間を戻すことなんてできないけど、
どうか今できる限りのことをして償ってほしいと思います。
まだ見つかっていない方々がご家族や恋人、友人の元に戻れますように。
ご遺族の方々の傷が一秒でも早く癒えますように。
うぅっ…こんな悲しい気持ちを書き綴ってしまってすみません…

でも普段韓国に楽しませてもらったりしているので、せめてお祈りだけでも一緒にしていただけたら、と思います

さて、今日は韓国で会った大切な人たちの話をします

韓国ではたくさんの大切な人に出会いました

チャドゥは韓国にいる間かなり金銭的に苦労した生活を送っていました(自分で選んだ道だけど)

月25万ウォンのボロくて狭くて小さなベットとノートパソコンくらいの大きさしかない机があるだけのコシウォン(めぞん一刻みたいなアパート?)に住んでいました

その時は午後から5時間ほど勤務する韓流サイトを運営する事務所でお仕事をさせていただいていて、お給料は50万ウォンでした


そこから電車賃(韓国ではお昼ご飯代はくれるところ多いですが、交通費は自腹ってところが多いです)と携帯電話料金(その時はチャージ式で月3~5万ウォンくらいだったかな?)を払い、3か月後に旅行に来ることが決まっていたチャドゥママに上げるお小遣いを貯金し…
としていたらそのほかの生活費が全く残りませんでした

なのでそこからエステ店での通訳や単発の翻訳、家庭教師の仕事をして、多いときには4つの仕事を切り盛りしていました

一日中休みなんて何か月もなくて、「なんか芸能人みたいじゃない?(笑)」と、途中妙なテンションになったり…w本当、貧乏暇なしです

ご飯はエステで作ってくれるまかないか、コシウォンの共同キッチンにあるご飯がほとんどでした

エステで院長が作ってくれるご飯はとってもおいしく、気を使ってたくさん食べさせてくれたのですが、毎日言ってた訳じゃなかったのでそれ以外はコシウォンのいつ炊いたか分からない黄色っぽいカピカピのご飯を食べていましたw
でもこれもあったらましな方で、タイミングよく行かないと同じ階に住んでる中国人の子たちに食べられてしまいます

無念…

そんな感じでご飯争奪戦に敗れ去った日はインスタントラーメンを食べてしのぎます

しかも麺だけ食べて、つゆは残しておいて後日ご飯を手に入れた暁にクッパ(スープご飯)としてチャドゥの胃を満足させてくれてました(///∇//)
掃除に洗濯もして、気づいたら「今日ご飯食べてないわ…明日はエステだから食べれるかな?でも週末だから忙しくて食べる暇ないかな…」なんてことを考えながら眠りにつく日もありました

そんな中で事情を知ってくれる人たちはキムチをくれたり(貴重なおかず

食事をごちそうしてくれました

あれ?食べ物だけ?(笑)いや、他にも色々です

1年くらいそんな生活をして、本当に限界が来てたみたいで
エステの院長に「どうしたの」と一言聞かれ、その言葉で勝手に涙があふれてきて
「저…그만하고 싶어요チョクマナゴシッポヨ辞めたいです」
と言ったことで生活が変わりました。
院長は「好きな時に来ればいいから」と言ってくれて気持ちも軽くなり、
メインの仕事として面接に行ったカラコン販売会社で仕事させてもらえるようになり
十分な給料をもらえるようになりました


エステとカラコン会社二つのかけもちをマイペースに続けさせてもらい、ついに念願のワンルームに引っ越すことができました


引っ越しもできるだけ自分で運んでいたけど、院長が車を出してくれたり、友達が荷解き手伝ってくれたり…
本当にありがたかったです

そんな貧乏女チャドゥを支えてくれたのは友人や院長だけではなかったです

そう、貧乏なくせに生意気に彼氏もいました(笑)
日本語の先生をしていた時の生徒さんで、貧乏で忙しいチャドゥの話をいつもニコニコしながら聞いてくれ、
時間があえば色々なところに連れて行ってくれました

彼の友達との飲み会でチャドゥが飲みすぎて吐いても、
外にあるトイレが怖いからついてきてと頼んでもいつも優しく「はいはい」って付き合ってくれました

最近日本の男の子にも合うようになったのですが、きっと同じことをしたら引くだろうな~って思うことも嫌な顔せずにしてくれました

(多分彼だけじゃないです



その節は本当に色々ありがとう…
君のことは忘れないよ。(彼とは今も友達として連絡してますw)
まぁそんなこんなで韓国で極限の状態(←大げさですがw)になったから見えたものって本当にたくさんあったし、
いい経験ができたなって思います

日本に戻ってきて家族と暮らすようになって生活に困るなんてことなくなったのに
すっかり貧乏癖が染みついているのか、チャドゥママや久しぶりに会った友達には「ケチ」と言われるようになりましたw
これから韓国に留学行く人は、お金はできるだけ持って行かないでサバイバル生活を送ってほしいと思います

お金があって怠けたり楽しいことばかりしている内(チャドゥは交換留学時代こんな感じでしたw)には絶対に見ることができなかったものを見ることができると思います

そんな時にでも近くにいてくれた人たちはやっぱりありがたいし、
思い出すのはそんな人たちです(≡^∇^≡)
日本でもそうだと思うけど、韓国人の【情】を感じてみてください

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