地震後、東京での生活は計画停電の影響やスーパーに行っても品物がない状態などが続き


少々不便でしたが、被災した方の不便さに比べればようもないものでした。




ただ、原発の状況がとても気になり、いざというときはすぐ福岡に帰ろう!と準備はしていました。


いち早く情報を得るために、常にテレビはつけっぱなし。公園に行っても携帯のニュースをチェック。


私が気にしなければいいんだけど、やっぱり気になってしまい、この状態はゆっくんにも良くないなぁと思ってた。




19日に車を手放す予定だったので、その少し前からばあばに来てもらい、オムツなど広州に持って行く日用品などの買い出しや、美容院に行く予定でした。




神戸の震災で母親を亡くしたパパは、私たちの様子がとてもとても心配なようで福岡帰省を強く勧めていました。


たまたまかもしれませんが、地震の時、国内以上に広州にいるパパには(パパからも)電話が繋がらなかったし


やっぱり顔を見ないと不安も倍増する。




パパからはメールで「もし次に大きな地震がきたら~こうしてああして・・」と長いメールが一日何回もきて


仕事が手についていない様子。




そんな時に静岡で震度6の地震があり、パパからのお願いではなく命令になり、


木曜日に車を引き渡しそのまま福岡に帰省しました。




福岡に帰ってきて、東京ではやっぱりゆっくり眠れてなかったなと実感。


家でさえ眠れないのに避難所の方は・・・・と常に考えてしまいます。




福岡では申し訳ないくらい平和な日々を送ることができ、感謝感謝の日々です。






もともと4月に一度広州へ下見に行こうと考えていたので、このまま福岡から行くことになります。


羽田=>福岡は安い運賃がない時期だったので39000円だったのに、


福岡<=>広州 往復で28000円(中国南方航空)って安い!




東京戻りは未定&広州への引越も未定です。