このたび東日本大地震における犠牲者の方には心よりお悔やみを
また被災者の方には心よりお見舞いを申し上げます。
地震から10日経つ間に、本当にいろんなことを考えました。
考えましたが、とても言葉で表現できるものではありません。
なんだかブログとかどうでもいい気がして更新できませんでしたが
やっと気持ちも落ち着いてきました。
私にできるとは募金・節電はもちろんのこと、普通の生活を送れることに感謝しながら
ゆっくんにストレスをかけないような生活を送ることだと思いました。
小学生の時いわき市に住んでいました。
田舎に住むのは初めてだったのですが、家の目の前の川づたいに学校へ通ったり
学校の行事でイナゴ摂りをしてイナゴのつくだにを食べたりと、初めての経験をたくさんさせてもらいました。
果物(特に桃やリンゴ)やお刺身がこんなに美味しいものだったのか、と気づかされました。
たった2年間でしたが、私の人生の中ではとても印象深く、いい思い出しか残っていません。
これからも美味しいお魚と美味しい果物が食べれる福島であって欲しいと願ってやみません。
地震が起こった時、ゆっくんと二人で横浜に向かう電車の中でした。あと3分で横浜!という場所。
ルミネが10%OFF期間だったので、ゆっくんが昼寝する間1時間くらい少し買い物できれば・・・
と軽い気持ちで出発しました。
色々感情など書くと、収集つかなくなりそうなので、ゆっくんの様子のみ記録のため。
・電車の中で待機した2時間=>うち1時間半はベビーカーで寝てくれて助かった
・川崎まで歩く2時間
=>夕方で急に冷え込んできたためか、いつもは嫌がる毛布に抵抗せず、ぐずらなかった。
ぐずらないどころか、時々母を見上げて「ニコっ」と笑ってくれた。
その度に涙出そうになった。
・川崎に着いた時(夜7時頃)
=>ベビーカーから下ろしたところ、足がしびれていたのか、エコノミー症候群のような症状なのか
わからないけど、ゆっくんが1歩も歩けなかった。1歩踏み出してはこけて倒れた。この時は焦った。
再度ベビーカーに乗せようとするもこのときは「抱っこ抱っこ」だったので、片手抱っこ&片手ベビーカーで
少し歩く。
・川崎のホテルで
=>川崎まで歩く間に、福岡の友達がホテルを探してくれた。本当に感謝!
私だけだったら、どんなに遅くなっても家まで歩いて帰ることもできたけど
寒い中(この日に限って薄着だった)これ以上ゆっくんを連れ回すのはゆっくんへの負担が大きすぎる
のでホテルに泊まることにした。
母は初めてテレビを見て、甚大さを知る。
ゆっくんはいつもと違う環境のためか、11時まで寝なかった。
テレビで悲惨な状況が報道されていたが、ゆっくんにはまだよく分からなかったみたいだ。
「うみ!」「ピーポーピーポー」「あかブッブー」などと言っていた。
ゆっくんなりに状況を察し、母を助けてくれました。
子連れだから大変だったけど、子連れだったから冷静に対処できたし、精神的には助けられた。
でも、避難所での子連れは・・・寒さ・物資不足・周りの人へ迷惑かけないように気を遣い、
母子ともにストレスがたまり・・・・・・
一日でも早く皆さんが日常生活に戻れますように。