私が不安障害になり、

仕事を辞めるも再就職した

経緯についてお話します。


まずは、外出が怖くなったり

体調不良が増えた経緯について。


大きなきっかけは、高校卒業前のこと。


芸術系の大学を目指して

日々絵の練習をしていた私。


周りの人達も大学進学を

進路とする人がほとんどで、

失敗したくない気持ちでいっぱいでした。


しかし前期の試験に落ち、

最後のチャンスである後期でも

落ちてしまったのです。


この時、合否の結果を

スマホで見ていたのですが、

その感覚をいまでも覚えています。


急に周りが白黒になり、

世界から色が消えたようでした。


結局、進路は滑り止めの短大へ

行くことになったのですが、

異変はこのあとも続きます。


顔が動かしづらくなったのです。


これがなかなか大変で、

隠そう隠そうとして人と話す時も

そのことが頭から離れず、


親しい友人でさえ距離感が

わからなくなってしまいました。


人に思い切って打ち明けても

理解されないことが多く、

いまでも残っている症状です。


こうやって人と関わることに

強いストレスを感じるからか、

体調不良も頻繁にありました。


風邪症状はないのに微熱だけあったり、

そもそも不調を言葉で説明しづらい、

雨や台風の前日に頭痛や吐き気が起こるなど、

さまざまな症状が出始めます。


脳神経外科、内科など

いろいろな病院を回りましたが、

相手にされなかったり

なにも良くならないことがほとんどでした。


症状のせいで恥をかいたことも

たくさんあります。


無理やり笑顔を作ろうとするも

動悸が収まらず、

笑顔が突然消えてしまったこと。


卒業アルバムで

私一人だけ笑っていないこと。


グループや人前の発表で、

不安感が強すぎて

腰が曲がって見栄えの悪い姿勢に

なってしまったこと。


不安感が強いと姿勢が悪くなるのは、

成人式の前撮りの写真で気づきました。


きっとほとんどの人にとって

ひとつの思い出となっている前撮りですが、

私にしては忘れたい出来事です。


暗い日々が続きながらも

なんとか短大を卒業し、


事務職として就職するも

体調は変わりません。


時々有給を使って休みつつ、

病院へ行っても治らないまま

出勤する日々が続きました。


そして、髪を切ろうと

いつもの美容院へ行ったところ、

動悸と吐き気に襲われたのです。

おそらくこれが、
広場恐怖を発症した初めての出来事でした。


そのあと美容院が怖くなってしまい、

じわじわと他の場所でも

発作を起こすことが増えていきます。


スーパー、飲食店、乗り物の中…


職場でも自分の席で座っていられず、

しょっちゅうお手洗にこもっていました。


お手洗いへ駆け込んでは、

吐き気と溢れ出てくる恐怖感を

どうしようもできずに

1人で泣くことが多かったです。


そういったことが増えていき、

ある日どうしても出勤できない日がありました。


会社は目の前に見えているのに、

それ以上歩きたくないのです。


いままでは出勤途中で発作が出ても

抑え込んでいたのですが、

「これ以上は無理だ」

と本能が言っているような感覚でした。


心配した上司がかかりつけの内科まで

送ってくれましたが、

原因は相変わらず分かりません。


結局、別の脳神経内科へ

検査入院することになります。

「これでやっと治るんだ」

と期待していましたが、

現実はうまくいきませんでした。

②へ続きます。