”還暦” から1年 | Carpe diem

Carpe diem

1度きりの人生は自由に謳歌。

2015年3月23日に突然の事故でこの世を去った最愛の母親のグリーフワーク、好きな音楽、アーティスト、映画、愛犬ハッピー(ミニチュアダックス♂2歳11ヶ月)を主として取り留めなく綴る日常。








今日は最愛のお母さんの誕生日。


去年はこんなこと思ってたんだなあって
すぐに知れるから、
やっぱり自分の気持ちを素直に
書いておくのっていいなと思う。



うん、久しぶりに読み返したけど、
あんまり思うことは変わらない。



今年も日付が変わった瞬間に
お母さんにおめでとうを伝え、
今日はお父さんと御墓参りをして、
心の中でお祝いした。


うわー!
なんでケーキ買ってこなかったんだー!って
今更少し後悔している。



今日は唐揚げが食べたくて、唐揚げを作った。



はあ、お母さんにも食べてもらいたい。






昨日は煮込みハンバーグと
オニオンスープ。




お母さんがいたら
見てみて!美味しくできたよ!って
言うんだろうな。

どこまでもマザコンで、
どこまでも子供だからなー。
でも、
もうそんな風に甘えられる人っていないな。
お母さんがいなくなってから。
普段寂しいなんて感情、
滅多に思わなくなったけど、
未だにそれだけが寂しい。



昨日はチラッと雪が降って、
積もりはしないけど
空気が冷たくて寒〜い東京。


夏の御墓参りも苦行のようだけど、
真冬の御墓参りも苦行のようだ...

墓石を掃除していたら
手がかじかんでカイロ手放せなかった。


今年初めてお墓に行けてよかったな。


お母さんの魂は
ずっとそこにいるわけじゃないってことは
分かっているけれど。


気管支が弱い上に
お線香の臭いが大嫌いだから、
家ではほとんどお線香つけないし、
手も合わさない。

手を合わさないのは
お母さんが仏様だと思いたくないから。

他の故人様には容易にできることなのに、
お母さんにだけはできないこと。


私にとってお母さんは
いつまでもお母さんなんだ。


死んだからって急に仏様になるなんて
到底理解できないし、
もし生きていたら、
目の前で手なんか合わせないもの。


でもお墓の前だと自然とそれができる。



お母さんが生きていたら61歳。


61歳かあ。


生きていたら
どんな61歳になってたんだろうなあって、
やっぱり想像するよね。



お母さんが好きそうな
可愛いピンクと白のお花と
かすみ草を生けた。





人生100年といわれる時代。
(これ聞く度にすっごい
腹立つ自分がいるけど)


母方の祖母は80歳で健在。
祖父は70代でがんを患い亡くなった。
父方の祖父は91歳で健在。
祖母は80代で突然の心不全で亡くなった。


私のおじいちゃんおばあちゃんは
長生きしてくれていたから、
私のお母さんだって、
例外なく
多分に漏れず、
最低でも80歳までは必ず、
必ず生きていてくれるものだって
無意識の中でそう思ってた。


けど実際は違った。


57歳から私のお母さんの時は止まった。


墓石に刻まれた数字を見て
言葉にできないくらい
切ない気持ちに襲われる。



お母さん誕生日おめでとう。
いつもそばにいてくれて
見守っていてくれてありがとう。

母さんいつも大好きだよ。

お母さん、宇宙一愛してるよ。
って、心の中で一生懸命念じる。



お母さんのいない日々に
慣れているような毎日が
とっても不思議だと、ふと感じる。



最近は泣くことも減ったけど、

こんなん書いてたら

やっぱり涙が止まらなくなる。


言葉にすると感情も出てくるな。




今日も会いたいよね〜



会いたいなんて思わなくたって

毎日顔を合わせられた日々。


もう過干渉過ぎて距離を置きたい!

って思っても

すぐそばにいてくれる存在。



それが会えなくなった途端、

会いたいって

毎日思うようになっちゃった。



もう誰に言えるわけでもない感情は

ふっと心に湧いてくる。


その度に涙は止まらない。



こんなの一生変わらない気持ちなんだもん

仕方ないんだ。

どんな自分も否定しないで認めてあげたい。





それでも
お母さんの事があってから
きっと自分はとっても
成長してるんだと思う。



昨日も今日も、
なんだか一日中眠くて眠くて堪らない
ずーっと寝ていたいような気分の日だった。

実際ずっと寝てた。