我が町内の桜はかなり花びらは散りました
それでもこの週末まではお花見が出来そうです
実は、息子の結婚相手のお嬢さんから、先日の我が家へ来られた時のお礼の手紙が届いており
その綺麗な文字と、丁寧な文章を読んで 家内と二人で感心したのでした
来年の春には、一緒にここの桜が見れたらいいのに、と思います
さて、今日はシンガポールの鉄道についての話題です
と言ってもシンガポールの国じゅうをくまなく走るMRTの事ではありません
マレーシアとシンガポールをつなぐ「マレー鉄道」のことです
私がはじめてマレー鉄道を利用したのは1970年の八月だったと記憶しています
それは家族でマレーシアのキャメロンハイランドという高原へ避暑に出かける時のことでした
タンジョンパガーにあったシンガポール駅 午後9時発、午前8時クアラルンプール着の蒸気機関車で向かいます
その時、駅の構内に入るとその場の雰囲気が変わったことに気付きました
「ここは既にシンガポールじゃない」
1970年のシンガポールは、まだまだ開発途上国ではありましたが、ゆっくりと西洋や日本のような先進国の文化が入ってきていました
シンガポールはそれとなく垢抜けた町に変化しはじめていたのです
ところがタクシーでタンジョンパガーのシンガポール駅に着いて、駅の構内に入るやいなや、臭いが「マレーシア」に変わっていました
そして駅員たちの顔の表情は怒っているように厳めしく、「楽しい旅のはじまり」のハズが暗い気分になってしまう…
この時の体験が、私のシンガポール駅に対するイメージを悪くしてしまいました(笑)
このシンガポール駅は2011年に役割を終えて、マレー鉄道のシンガポール側の終着駅はウッドランズ駅に移ったのでした
このようなタンジョンパガーのシンガポール駅からブキテマとウッドランズそしてジョホール駅を経てKLへ向かうルートが有名ですが
実は他にもシンガポール国内を走る路線があったのです
●オーチャードロードを越えるマレー鉄道の橋脚 (1900年前期)
今はインターネットで検索すると様々な情報が簡単に得られるようになりました
Old Singapore, Railwayで検索すると地図とか写真が数多く見つかります
拡大すると下のようにBukit Timahと書かれた場所から下へ下る路線とブキテマロード沿いに東方向へ伸びる路線が示されています
下の地図は日本軍がシンガポールを占領していた時期に東京日日新聞が作った地図だと思いますが、ここにはブキテマロード沿いの路線しか記されていません
これも拡大してみると、チマーという町からカニング要塞へ向かう路線となり、上の地図と重なります
ちなみに「チマー」というのはTimahでブキット「テマ」のことのようです(汗)
ここに書かれている「総督府」というのはエミリーヒルに今も残る当時の日本総督府のことです
どうやらこの鉄道路線はブキテマの北側を並行して走り、ニュートンからオーチャードロードへ南下しているようです
青い線が鉄道路線になります
エメラルドヒルロードに沿ってオーチャードに交差しています
今の地図に置き換えてみると、下のようになります
その交差地点を拡大すると、今では考え付かないような場所を鉄道が走っていたことになります
つまり、その交差している場所は今のオーチャードセントラルのユニクロへの入り口の辺りになるのです
まだ人力車が行きかう土地の道から、1900年初頭の雰囲気が感じられます
下のは色が付けられているので、当時のオーチャードの様子がおぼろげながらイメージ出来ますね
現在のオーチャードゲートウェイのビルとビルをつなぐガラス張りの空中回廊の景観が、昔の鉄道橋脚の姿と見紛うのです
(場所はやや異なりますが)
下の写真はおそらく1960年台中ごろだと思いますが、場所はサマセットのオーチャードからエメラルドヒルロードへ曲がる角になります
ショップハウスの先に見える旗がたなびく建物がコールドストレージです (今のOGオーチャードポイントでカッページへの入り口付近)
そして下のは現在の同じ場所です…
右側にも当時はショップハウスが建ち並んでいたのに、今はショッピングモールのガラス張りの建物と化してしまった
私の予想では、あと20年も経ったら、オーチャードから全てのショップハウスは消えてしまい、
近代的なビル群だけになっているような気がします
それもまた仕方がないのかな、シンガポールって(笑)