AI | 駄馬が行く

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SR400と行く、日本の旅


講評会で、生徒は自作品の解説をする。
「ここの青色は寂しい気持ちを表しています」
なんて言うが、全く寂しさなんか表してやしない。作者がそういうつもりでいるだけ。

まぁ、そういうことを言うのは、実はなんにも考えてなかっただけの話。


ほんとにそう見せたいなら、そこの青さが寂しさを表してる風に見えるような操作が、作品全体でなされてなきゃならない。

なぜこの形なのか
なぜこの色なのか
なぜこのモチーフを選んだのか

美術における対話的で深い学びは、自分自身との間にある。



全ての選択には理由がある。
絵描くべきはその理由なんだけど、生徒自身に理由の自覚がないから、当然話さないし聞かれても答えられない。

アイデアを練る際に大事なのは、自分への問い。AIは、どうもそこのところを考えさせてくれるらしい。
僕の授業ではそれを各自でやらせとるが、クロッキー帳へ書きながら考える作業で、問うのは自分。当然ながら思考が浅い生徒は、自分に問うことができない。
全員に同時に関われないので、記事のようなタブレットは有効だろうな。

年々、思考が浅い生徒が増えてる。
爆増と言ってもいい。
そもそも、美術を選ぶ理由がテストがないからなんだから、思考がどうとか作品がどうとか、言ってる場合じゃない。

そういえば昨日、3年生の授業で。
毎回テキトーなことやってるから、
「今の所、君らは授業への取り組み姿勢でつく点数は全く入ってないぜ?このままだと、作品のレベルによるが、いいとこ2かな。」
「えぇ?!それは困る!」
「困るの?赤点(1)じゃなきゃいいんじゃないの?」
「そんなことないです。2なんか、とったことない。」
なんて会話があった。
やることやらずにいて、3がもらえるわけがない。
いかに今までがでたらめだったか。
でたらめってのは、そういう成績になってしまうシステムの、今の指導要領のことだけどな。
おかげで生徒もデタラメだ。