昨日、日本とコロンビアを繋ぎ、任期を終えたボランティアの方々の帰国報告会があり、参加しました。
コロンビアに居残りの私も、発表者の方々や質問者、コメント下さった方々にパワーを頂けた、そんな良い機会でした。
ところで、言葉と言う目に見えないものからパワーを授かるということは、簡単なようで意外と難しいですね。注意して耳を傾けてないとせっかくのチャンスを失うことだってある。
それで、昨晩、以前から愛読していた一冊のチェ・ゲバラ(Ernesto Che Guevarra)
の本をもう一度パラパラをめくってみました。すると、こんな一文が目につきました。
ちょっととっつきにくいかもしれないけど、できれば、原文で、ゲバラ自身の言葉で、読んでみてくださいね。
※話が逸れますが、私は左翼ではありません。特にコロンビアにいるとゲリラという言葉には大きな拒絶感もあります。今から半世紀以上昔の、過酷で依然植民地支配的な状況にあったキューバ革命の頃のカストロやチェ・ゲバラのゲリラとは、今ゲリラを標榜し暴力やテロに訴える人たちとは「まったく別物」です。是非皆さんもここでチェ・ゲバラが言うゲリラが現在の、自称ゲリラとは別物だと理解して読んで頂けたらと思います。
La guerrilla, movimiento defensivo del pueblo en un momento dado, lleva en sí, y constantemente debe desarrollarla, su capacidad de ataque sobre enemigo.
Esta capacidad es la que va determinando con el tiempo su carácter de catalizador de las fuerzas populares.
Vale decir, la guerrilla no es autodefensa pasiva, es defensa con ataque y, desde el momento en que se plantea como tal, tiene como perspectiva final la conquista del poder político.
ゲリラと言う、ある段階では民衆の自衛的な運動、それは、それ自体、また、常に、敵に対する攻撃能力を向上させざるを得ない。
この能力が、時の経過とともに、民衆の力の触媒としての性格を決めてゆく。
ゲリラは、受け身の自己防衛者ではなく、攻撃をすることが出来る防衛者であること、そして、ゲリラとして計画された時から、政治的な力を勝ち取ることを最終的な視野に入れていること、そう言って良い。
ちょっとここで、開発協力に従事する立場の者として、「ゲリラ」を「貧困撲滅に携わる者」、「敵」を「貧困」、「政治」を「社会」に置き換えてみました。
貧困撲滅に携わる者と言う、ある段階では民衆の自衛的な運動、それは、それ自体、また、常に、貧困に対する攻撃能力を向上させざるを得ない。
この能力が、時の経過とともに、民衆の力の触媒としての性格を決めてゆく。
貧困撲滅に携わる者は、受け身の自己防衛者ではなく、攻撃をすることが出来る防衛者であること、そして、貧困撲滅に携わる者として計画された時から、社会的な力を勝ち取ることを最終的な視野に入れていること、そう言って良い。
どうですか?私は、萎えそうな気持が奮い立たされます。建設的な意味で戦う気力を頂けるような。
もしあなたが母親でお子さんがいじめを受けている、そして、色々なしがらみがあって、或いは、性格的に臆し勝ちで、状況の改善に一歩踏み出せないでいるとしたらどうでしょう(そうでないことを祈りますが、一つの例として)。「ゲリラ」を「いじめの撲滅に携わる者」、「敵」を「いじめの問題」、「政治」を「地域やコミュニティ」に置き換えてみました。
いじめの撲滅に携わる者と言う、ある段階では民衆の自衛的な運動、それは、それ自体、また、常に、いじめの問題に対する攻撃能力を向上させざるを得ない。
この能力が、時の経過とともに、民衆の力の触媒としての性格を決めてゆく。
いじめの撲滅に携わる者は、受け身の自己防衛者ではなく、攻撃をすることが出来る防衛者であること、そして、いじめの撲滅に携わる者として計画された時から、地域やコミュニティでの力を勝ち取ることを最終的な視野に入れていること、そう言って良い。
どうですか?一歩踏み出す力が湧いてきませんか?僕らの身の回りのところで闘う気力が出ませんか?
私達はゲバラではないけども、私達なりの次元で「戦士」なのだと思います。そう思うとチェ・ゲバラは決して死んではいない。言葉で僕らを良い方向に導いてくれる、どうもそんな気がしてなりません。
