日本に帰ってきて、子育てしていく上で

あーこういうの、ニュージーランドにはないな、

って思うことが ひとつある。

 

基本、Kさんと公園に行くと長いから(笑)

大体昼前くらいから夕方くらいまでいることが多いんだけど、

2時を過ぎると、幼稚園帰りの団体が自転車で現れ始め、

3時過ぎると、小学生が学校終わって遊びに来る。

 

そしてそれを見て 私はいつも、

この為に日本に住むことを考えても良いかも、と思う。

 

”それ“とは、子供達が子供達だけで遊びに来ていること。

 

思い返せば私が小学校の頃だって、

下校してランドセル置いてから、

友達と公園で待ち合わせてよく遊んでいた。

 

それって、日本にいると当たり前なんだけど、

ニュージーランドではあり得ない。

 

何故なら、NZでは、13歳までの子供は、例え家であっても

一人にはしてはいけないから。

だから、放課後 公園で会おうねー、とかは、

親抜きではあり得ない。

 

友達の親が交代で面倒を見ることはあっても、

日本のように、自転車でひとりで来て、友達と遊んで、

5時になったから帰るわ〜、とかはない。

 

公園で放課後、子供達だけで遊んでいる小学生を見ると、

これって素晴らしいなって思う。

 

だって、子供を一人で行かせても大丈夫、

という安心と信頼がなければできないことだから。

(そういう意味では、子供が初めて一人で買い物行くのって

NZではhigh school 入ってからなのかな…?)

 

公園のそばの団地とか見ると、ここに住んでいる子達が

ただいまー、行ってきまーす、ってランドセル放り投げて

公園に来て、きっとそこでしか会わない友達とかもいて、

なんていうのを想像しちゃって、

そういう自分だけの社会を、Kさんにも作って欲しいし、

そういう環境があることを、素敵だなぁって思う。

 

ニュージーランドでは、逆に子供を一人に出来ないから、

時短やwork sharing が浸透している。

14時上がりや、一つの仕事を二人で曜日ごとに担当したり、

っていうようなことはやりやすいし、

学校が休みの日とかは、

職場に子供を連れて行くこともよくある。

例えば、バスの運転手さんの子供が一番前に座ってたり。

 

自分の子供に自分のやっている仕事を見せる、

逆に、自分の親が普段どういう風に働いているのかを見れる、

これって、ある意味 最高の社会勉強だと思う。

 

お留守番させて買い物すら行けないニュージーランドでは

行きたくない子供も連れていかなきゃならない、

そんな場面が多くあって。

醤油買い忘れたって、ちょっとひとっ走り、行って来れない。

そういう意味では窮屈さもある。

 

ま、理想を言えば、両方いいとこ取りの社会なんだけれど。

 

 

以前から暗がりを怖がったKさん。

暗いから怖い、とか、おばけが怖い、と言っており、

5歳くらいの年齢なら、そうだろうな、と思っていた。

 

だって私だって、田舎の祖母の家で夜、

トイレに行ったり、お風呂にひとりで入るのは、

記憶がある限り、小学校低学年か中学年、

親に、もうそろそろひとりで行きなさい、と言われるまで

誰かと一緒じゃなきゃ怖くて行けなかった。

 

田舎だから夜は真っ暗で、トイレのドアの目の前にあった

廊下の窓に映る姿を見るのが、本当に嫌だった。

 

だからKさんが夜、お化けが怖い、って言うのも

そういう感じだと思っていた。

暗くてたまに車とかの反射で光ったり、音がするのが

おばけがいるみたいで嫌なのかと。

 

けれど最近、そうじゃないことがわかった。

 

いつも母が寝かせてくれる時、おばけがいて怖い、

と言うそうなので、先日私が寝かせる時に聞いてみた。

その日もやはり、怖い、と言うので、おばけがいるの?と。

 

それに、うん、と答える息子。

どこにいるの?と聞くと、

(開いている寝室の)ドアの上のところ、と言う。

 

普段コンタクトをしている私には、ぼんやりとしか見えないが、

けれどそこにある暗い影は、確実に見えた。

だから私は安心しながら、

それは隣の部屋の電気だよ、と言った。

 

けれど息子は、

違うよ、あそこに赤ちゃんが見える、と言った。

怖いよ、と。

 

その答えにびっくりして、でもまだ半信半疑な私は思わず

目とか口とかも見えるの?と聞くと、Kさんは、

うん、泣いてるの、と言った。

 

普段 そういうのが全く見えない私にとって、

それはあまりに衝撃的で、そして同時に今まで

ちゃんとその“怖い”に向き合ってこなかったことを反省した。

 

夜が怖い、暗がりが怖い、というのは、Kさんにとって

本当に深刻な問題だったのに、私は

いつかはおばけなんかいないと理解できる時が来る、

きっと何かの夢をみたんだろう、くらいにしか

考えていなかった。

 

母がKさんを産んですぐ、ニュージーランドに来てくれた時、

天井を見て笑うKさんを見て、

この子絶対何か見えているわ、と言っていたけれど、

やっぱりその時からKさんには見えていたのだろうか。

 

次の日の朝、私が母に、

昨日は泣いている赤ちゃんがいたんだって、と言うと

うん、そう。ドアの上から頭が逆さまになって出てたの、と

まるで、道で友達に会ったの、と言っているような

テンションで言うKさん。

 

…そっか、これはKさんにとって、日常の出来事、なんだ。

 

 

 

 

久しぶりに毒を吐きたい気分…

 

いや、お役所仕事ってよく言ったもんだなって。

 

お役所でだって皆様一生懸命働いているんだろうし、

一個人が変えたいと思っても変えられない、という

もどかしさを抱えて働いている人もいるだろうし、

もう当たり前すぎて疑問にも思わない人もいるんだろうけど。

 

いや、分かりますよ。

私なんてただのゴマ粒みたいな一区民であって、

そこで働いている方々は、日々、多くの仕事をこなしていて、

私があれだけ書類を提出するのに時間と労力をかけたことを、

当たり前だと思っているかもしれないし、

不十分なら切るだけのこと、思っているかもしれないけれど、

こっちは必死にやっているんですよ。

 

Kさんが3ヶ月、つまり6月末で保育園を出なければならない、

それは相方の仕事の関係なんだけれども、

相方の就労証明が出てなかったからなんだけれども、

色々あって結果、今回の就労開始日が6月25日だったから、

”就労中“の書類を出す為に(つまり25日以後にしか出せない)

(これも本当に細かすぎてイラっとする)

そしてこの書類の重要性がわからない相方の仕事先の人が、

(こんな書類、馬鹿馬鹿しいと思っている節すらある)

もしもすぐに提出してくれなかったら

6月末に間に合わないかもしれないので、

何度も区役所と電話してプランBも話し合ったりして、

(それが本当はプランAで今回がBだったわけなんだけれども)

最終的に25日に就労証明を速達で送りましたから!

って連絡してから数日、

全くもって音沙汰ないので、

28日、実質上の6月最後の平日の朝に区役所に連絡したら…

 

(すました声(のように感じた)で)

今回はひとまずこれで受理するとこちらで話し合いました、

って言われて………

あ、そうなんですか(教えてくれないんですね)って思ってたら

この件は以上でよろしいですか?

って聞かれて………

 

 

いやいや、よろしいのはよろしいですけど、

私はKさんが来週から保育園に行き続けられるのか

そこに人生を賭けてたくらい(マジで)、仕事や子育てがある中

時間を割いてやってきたんですよ。

でも、結果は教えてもらえなくて、それにこっちから聞いても、

あなた誰でしたっけ?あ、そうそう大丈夫でしたよ、

それ以外に何かまだ聞きたいことでもありますか?

みたいな雰囲気で言われて、

なんか、馬鹿みたい、っていうか、なんなの、っていうか、

本当にもう、もっと世の中を知っているパートさんとかを

入れた方がいいですよ、って感じですよ。

 

わかってたけど、そういうところだって。

でも正直今までは区役所とは住民票と戸籍謄本くらいしか

関わってこなかったけど、

子供ができるとどうしても、権利を主張する為には

関わらざるをえなくて。でもそれも

もう諦めようかと思わせるような複雑な仕組みで、

聞く人違えば言うことが違い、

もう何が本当なのかわからなさすぎて、

一度聞いただけでは怖くて、違っているかもしれないから

もう一度電話かけてセカンドオピニオン求めたりしちゃう…

(疲…)

 

そうそう、話は変わるんだけど、

都知事選の不在者投票、うちは区界に住んでいて、

隣の区の会場の方が近いから、そっちで出来ますか、って

聞いたけど、区をまたいだら投票出来ないんだって…

(それって当たり前なの?区長じゃないのに?)

 

 

どれもこれも、もっとシンプルになればいいのにな…