ニュージーランドに来て驚くことは まま あるけれど、

(異国に出れば、多少のカルチャーショックはありましょう)

彼女の半生を聞くたびに、いつも驚きを隠せない。

 

彼女はニュージーランドで生まれ育ち、若くして海外へ。

どこをどう彷徨ったのか、具体的にはわからないけど、

(忘れたと言うべきか…)

メキシコに行き着いて、フードワゴンで生計を立てる。

(今でもメキシコ料理は得意で、

スペイン語もまだ話せるのだとか)

 

そしてその後、いつかは詳しくわからないけど、

ある時、アメリカ人の男性と恋に落ちる。

果たしてこの出会いが、メキシコなのか、アメリカなのか、

はたまたニュージーランドへ 帰ってきてからなのかは、

私の記憶が定かでないが、とにかく彼女は妊娠し、

それも双子(!)をニュージーランドで出産する。

 

時代が今ならともかく、

これを50年くらい前にやっているのだから、

すごいというか、冒険家というか。

 

その後双子を一人で育て上げ、(彼はアメリカに住んでいる)

多い時には、家を三軒も保有していた。

(どうやったら そうもできるのか…)

 

私が出会った頃は、私が相方とど田舎へ移住した時で、

彼女はその三軒のうちのひとつの家に住み、

(その家にはちゃんとしたトイレがなかった)

定住者が少なかったその地域の 他の家の管理をしていた。

 

なので賃貸物件を探していた私たちと出会うのだけれど、

その時の彼女はいわゆるヒッピーのようで、

カラフルな服を着、カラフルな装飾の家に住み、

常に焚いていたお香の匂いをさせ、

アクティブに いろいろなことをこなす

母親くらいの歳(実はもっと上だった)の管理人さんだった。

(あと、道を挟んで反対側に住む女性と付き合っていた。

その後2人は別れるのだけれど、その女性は数年後、

風の噂で男性になったと知り、彼女も驚いていた)

 

最初私は、彼女を見た目(と匂い)から敬遠し、(すみません)

知らない土地、慣れない国のフレンドリーさが怖くもあり、

この21世紀にトイレにない家に住んでいるような人とは

仲良くなるなんて思ってもみなかった。

 

そのうち、彼女の世話好きが高じ、

1日に車が数台しか通らないような、

海辺の 何もかもから遠い片田舎に住む

東京育ちの私を 気にかけてくれるようになり、

一緒に ご飯を食べたり、街まで買い物へ行ったり、

散歩をしたりと、共に過ごしていくうちに、

見た目では決して接点がなかったであろう感じの人が、

友達、そして私の第3の母になっていったのです。

 

彼女も現在クライストチャーチに住んでおり、

ありがたいことに、私の駆け込み寺となっている。

彼女自身も、自分の孫の世話や、

車で7時間くらいかかる所にある、もう一軒の家に行ったりと

忙しくしているのだけれども、

時間の合う時は 相方への不満を聞いてもらったり、

どうしてもの時は、Kさんの面倒をみてもらったりと、

今ではなくてはならない存在なのです。

 

実は、彼女自身も双子をプレイセンターに通わせていたため

子育ての面でも意見が合うのも嬉しい次第。

冗談だって皮肉だって笑って受け止めてくれるから、

話していても気楽だし、毒も吐かせてもらっちゃう。

 

そしてこれからも、あの深い人生経験から学んだり、

捨てられないから増える アンティークっぽい物たちを

頂いたりしながら、母親のように頼っていきたいと

思っている。(いつまでも)