こんばんは
本日も訪れていただき
ありがとうございます。


もう今しか書かないだろうから、
今日も「退職」について書きます。

この決断をする時、
すごく怖かったから、
誰かの参考に少しでもなればと
思います。



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みなさんの“不安共通項”
となるのは、


①お金

②次の仕事

③家族の同意


あたりかと思います。


“私の場合”でしかないけど、
どんなにして打破したかというと…



①お金

退職金もあるし、
夫も同業者、
貯蓄もそれなりにある、

1年は何も働かなくても
生きてける!!

と、ただ勇気を出しただけ笑い泣き

知的なマネー術を身に付けてるとかも
全くなし滝汗


後押しになったのは、
10年前に教員を辞めて独立した
憧れの元カリスマ教員の先輩のお話。
(先輩のサロンは常に満員御礼)

「私、退職してから土地探して
 家建てたよ。5月ぐらいに土地買ったかな」


「え、ローン組めました?」

「組めへんから一括でいったで」

「・・・!」

お金の心配はあれども、
もうええわ!って
腹をくくったエピソードでした


②次の仕事

全然準備なし笑い泣き

結婚して嫁いだから
いつか仕事を辞めなけりゃいけない時が
くるやろな、

と、どこかで思っていたから、

英語や指導の勉強には
かなりの時間とお金を投下してきました。

結果、授業力は間違いなく上がったし、
何より自分自身が楽しくて、
生徒が喜んでくれることで
また頑張ろう!という気持ちには
なれました。


私の尊敬する言語学者の
溝江達英先生からの、

「あなた、教員辞めても教職は
続けた方がいいですよ。向いてますから」


という後押しもあり、

形を変えて英語を教えていこう、
ということは決めていました。


今、教員市場はがら空きだし、
“またやりたい”と思えば戻れるし、
“お金がない”と思っても戻れる。

教員じゃなくても
全然関係ないことをやっても
いいのかなーとも思ったり。

でも・・・
そもそも、
次の仕事を考える余裕がある生活なら
退職しないです!
そんなこと考えてる場合じゃない、
というのが正直なところ。

そんな時間があるなら、
最後の時間を
目の前の生徒に対して誠実に
向き合いたかったし。

本来は何するか決めてからとか
試しながらとか
副業しながら様子を見るとかが
クレバーな生き方だろうけど、
 
心のどこかで全くのゼロにしたい
と望んでいたような気がします。


③家族の同意

夫も同業者なのに、
なぜ夫は
「今日も遅い」と一行のラインで
思う存分残業ができるのか。


なぜ私は仕事も中途半端に終わらせ
6時に学童に猛ダッシュで駆け込み
家事育児を一人でやって
布団に倒れ込むような生活を
しなければならないのか。


昨年は育児短時間勤務が明けて
フルタイムになり、
喧嘩が多い一年でした。

それもあってか、

ありがたいことに、
私の場合は夫は退職に関して
とても寛容でした。

「失敗してもいいよ、
 そうせなあんたはいつも気付かんやん」


と、ドーンと構えてくれているのは
アドバンテージだったと思いますドキドキ


夫婦間の意見の一致は不可欠だったなと
今も思います。

問題は、母でした。
母=ラスボス。



母もフルタイムで働いてきたし、
家事も育児も一人でやり切ってきたし、
「なんで私はやってきたのにあんたは
できへんの」
なんて言われたらどうしよう、
という恐怖

(母はかなり忍耐強く、明るく
精神的にも強靭である)


でも、
やっぱり母には自分の味方でいてほしい。
理解してほしい。


というのが心の底からの願い。

これも勇気を出し、
自分の気持ちを話しました。

母は子どもたちの世話もたくさん
してくれるし、

ターミネーターのようによく働くし、

ご飯の世話もしてくれるし、

なのにどこからこの恐怖が来るのか、

というのは謎でした。

謎=自分が向き合いたくない部分

ということが今ではわかります。

(母はあっさりOKだった、というのがオチ)

でも腹を割って話したおかげで
今は母と過ごす時間はさらに安心で
快適だし、

仕事を辞めてからも
「次何するの?」
と追い立てられることもなく。


母が完全に味方で居てくれる
と感じながらこの先、
生きていくことができるのは
本当に良かったことだと思っています。

退職の副産物とでもいうのでしょうか。

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納得して、

自分の身辺をクリアにしてからの

決断にして、

よかったなと思っています照れ