更新なくもう2014年
このブログを更新して見る人などいるのかな?
でもいることを信じて書きます。
かれこれ研究を続けています。
去年、仕事関係で失敗をし、自分を戒めました。
自己嫌悪にも陥りましたが、もうやるしかないので
雑念を振り払い研究しています。
今は大学が休みで、研究者にとっては落ち着いて研究に
専念できる貴重な時間。
去年から長年離れていたブロンテ研究を再開しました。
エリオットを捨てたわけではなく、並行です。
当然、論文も書いてますが、現在のブロンテ研究を
エリオット研究にも活かします。
今年の初めにブロンテで一本論文を書いたのですが
もう一本、ブロンテで書きます。
そして来年からはエリオットを研究しつつ、
出来ればディケンズかギャスケルも精読し
論文をかけたらいいかなと考えてます。
ここ2年間の研究で痛感したことは
「隙間」を探した研究方法の限界です。
研究をしていると、やはりオリジナリティ(独創性)
が必要になるわけですが、これが難しい。
今までに論じられていない
自分だけの論を構築することの必要性。
私はこれを意識するあまり、作家の本質を
無視した論文を書いていたような気がします。
つまり、どこかの批評家が論じていた
マイナーな見解を強引に結びつけて、それを
自分の論としてしまうこと。
私の場合、エリオット作品の
「空間描写」が一つのキーワードに
なるのですが、問題はこれをいかにして
エリオット作品の本質と結びつけるかですね。
ブロンテ研究をしていながら、こういうことに
気付かされました。
このブログのテーマとなっている博論執筆まで
あとどれくらいかかるか分かりません。
少なくともエリオット作品の精読も終えていない
現状を考えると、気が遠くなる道のりですが
前進はあっても、後退はしていないので
この落ち着いて研究できる期間に研究に
没頭したいと思います。
またブログ更新しますので、よろしければ
見に来てください。
このブログを更新して見る人などいるのかな?
でもいることを信じて書きます。
かれこれ研究を続けています。
去年、仕事関係で失敗をし、自分を戒めました。
自己嫌悪にも陥りましたが、もうやるしかないので
雑念を振り払い研究しています。
今は大学が休みで、研究者にとっては落ち着いて研究に
専念できる貴重な時間。
去年から長年離れていたブロンテ研究を再開しました。
エリオットを捨てたわけではなく、並行です。
当然、論文も書いてますが、現在のブロンテ研究を
エリオット研究にも活かします。
今年の初めにブロンテで一本論文を書いたのですが
もう一本、ブロンテで書きます。
そして来年からはエリオットを研究しつつ、
出来ればディケンズかギャスケルも精読し
論文をかけたらいいかなと考えてます。
ここ2年間の研究で痛感したことは
「隙間」を探した研究方法の限界です。
研究をしていると、やはりオリジナリティ(独創性)
が必要になるわけですが、これが難しい。
今までに論じられていない
自分だけの論を構築することの必要性。
私はこれを意識するあまり、作家の本質を
無視した論文を書いていたような気がします。
つまり、どこかの批評家が論じていた
マイナーな見解を強引に結びつけて、それを
自分の論としてしまうこと。
私の場合、エリオット作品の
「空間描写」が一つのキーワードに
なるのですが、問題はこれをいかにして
エリオット作品の本質と結びつけるかですね。
ブロンテ研究をしていながら、こういうことに
気付かされました。
このブログのテーマとなっている博論執筆まで
あとどれくらいかかるか分かりません。
少なくともエリオット作品の精読も終えていない
現状を考えると、気が遠くなる道のりですが
前進はあっても、後退はしていないので
この落ち着いて研究できる期間に研究に
没頭したいと思います。
またブログ更新しますので、よろしければ
見に来てください。