大学在学時にはこんなこと考えたこともなかった。


大学院なんてものがあることすら無知な自分は知らなかった。


でもイギリスで感じたのは広く浅くではダメなんだってこと。



広く浅くでは趣味で英文学作品を読んでるのと同じになってしまう。


大学教員として学生たちに教える仕事をしている以上


文学の魅力を人に教えることができるようにならなければならない



この点で私はまだまだだなと痛感するのだが、、、、、、


広く浅く読んでいけば、色んな作家の表面的な魅力はわかるかもしれない。


しかし、作家の作品を一つや二つ読んだくらいで、その作家の全てを


知ることはできないし、研究書をいくつか読んだとしても


そんなんで知ることができる情報量なんてたかが知れてる。


概説書的な


「~という作家は~に生まれ、~の時代精神を見事に体現してみせた


偉大な作家である」etc.


などという、ちょっとした参考書を見ればどこにでも書いてありそうな


ことなど教えても文学の魅力は伝わらない。



ある一人の作家の作品を精読する。


精読といっても内容を把握する程度の精読ではダメだ。


英文の一語一句に注目し、徹底的に分析する。


あるひとつの単語に注目する。


すると、その言葉が物語の後のほうで意外な意味を持つようになる。


なんてことは内容把握程度の読みでは決して気づかない。


エリオットのMiddlemarchを読んでると、ホントに英文の深遠さを


感じさせられる。



多くの作家の作品に触れることで横の視点から専門とする作家を


分析してみるアプローチも決して否定はしないが


沢山の作家の作品を読んで、その内容を言えたとしても


結局、それは表面的な魅力を理解したに過ぎない。



大切なのは作家の英文に真摯に向き合う姿勢だと思う。


ただ早く読めばいいわけではない。


和訳本だけを読むなんて論外である。


そんなのを読んでもただ内容を把握する一助にしかならない。



英文に真摯に向き合い、作家の伝記、手紙、批評書などから


その作家の魅力を徹底的に分析する。


そして再び作品を読んでみる。


何回も何回も読み返してみる。


するとその度に新たな発見がある。


そしてそれが自分の文学的発見となる。



結局のところ、表面的な読みだけで作家を分析し、


概説書から拝借した文言をそのまま伝えても


それは中身の伴わない空論に過ぎない。



いつか自分も作家の魅力を自分なりの言葉で言い表せる


ようになりたい。


そうなるにはまだまだ読みが足らない。


もっともっと細かく読めるようにならなければ。