博論、書いております!
現在、やっとイントロ(約8000字)を書き終えたところです。
全体が約8万と計算しているので、まだまだ先は長いです。
エリオット作品は「牧師館諸相物語」(Scenes of the Clerical Life)と短編、詩を省くと
全部で7作品あるので、大体各作品に1万語ってところでしょうか。
で、これからAdam Bede論に入ります。
やはり博論レベルのボリュームの論文を書いてると苦労するのは英語ですね。
ただ英語を書けば良いというわけではなく、当然、論文として論の整合性などを
逐一チェックしていきながら書いていかなければなりません。
もちろん、書き始める前にある程度の論構成などをノートなどに書き記して
それを元に書いていくわけですが、それでも論文を書いてる間に書き直すことも
しばしば。
人によってはいろいろな書き方をする人がいますが、
私は日本語から考えることはせず、英語でダイレクトに書いてます。
日本語と英語では当然、言語が違うので、日本語から英語に直す作業をしてると
「英語らしい英語」ではなく、「日本語みたいな英語」になってしまうからです。
日本人なわけですから日本語みたいな英語になるのは仕方のないことかも。
でも、英文学者を目指す以上
「言葉、文字のスペシャリスト」
でなければならないわけで、日本人英語からは絶対に脱却しなければなりません。
これは留学時代の語学学校の先生にきつく言われた言葉です。
和訳本ばかり、和書の研究書ばかりを読んでばかりでは英語力は身につきません。
和書は参考程度にして、しっかりと英語で読み、英語で書きましょう!
ただ、日本語で書く事の重要性も無視できませんが、、、、、
(日本人である以上、英語以上に日本語のケアが求められるのは当然のことですね)
でも、研究者になるわけですからね。
趣味のひとつとして文学を楽しむのとは訳が違います。
英文学者として、英語の技術に磨きをかけるのは当然です。