この作家でしたら中には知ってる方もいらっしゃるかと思います。

ジョージ・エリオットとほぼ同時代に生きた女性作家です。


ですがブロンテ家でも特に有名なのはやはりエミリーのほうでしょう。


エミリー・ブロンテのWuthering Heights (『嵐が丘』)


エミリーに関しては、小説はこれしか書いてないのですが、

このたった一つの作品が当時大ヒット!!

その人気はイギリスからアメリカ、そして、遠く離れた日本にも伝わり

今でもイギリス文学史上不朽の名作として語り継がれてます。

イギリスはもちろん日本でも映画化、劇化なども数多くされてます。


シャーロットは認知度はエミリーほどではないですが、それでも

『ジェーン・エア』の人気は日本でも凄いです。

前に書きましたが、最近では松たかこ主演で劇化もされてます。


何と言っても凄いのは、イギリスの中北部、ヨークシャー地方の

ハワースという、ほんの小さな村からイギリス、

世界中にその名を轟かせる三姉妹が誕生することなど誰が想像したでしょうか?


僕もハワースには行きましたが、おそらくブロンテ三姉妹が生まれなかった

こんな脚光をハワースが浴びることはなかったというのも頷けます。

隠れた名所です!!

このハワースに関してはまた次の機会にでも話すことにします。


これも前に書きましたが、このブロンテ三姉妹は匿名で作品を出版してます。

なぜなら、男性であることがバレると売れなかったから。

これを理由にエリオットも苦しみました。


シャーロットは時の桂冠詩人ロバート・サウジーに小説家になるための

アドバイスをもらおうと手紙を書くのですが、以下のような返事をもらいます。


「文学は女性の仕事にあらず」


家庭の天使たる義務を社会から課せられ、中流階級、下流階級に

生まれた女子が文学作品を書くことなどできるはずがない。

または、してはならない。なぜなら、女性の領域は家庭であり、

天命は男性に尽くすことにあるから。


というのが、大方の見方。

シャーロットはこの言葉に意気消沈しますが、

結局、小説家になる夢を捨て去ることができませんでした。


シャーロットの処女作はThe Professor (『教授』)で、

エミリーの『嵐が丘』とアンの『アグネス・グレイ』と合わせて

出版社に送りつけましたが、シャーロットのだけ出版が認められず、

結局、この作品はシャーロットの死後1857年に

出版されることになります。


結局、シャーロットの作品が世に出たのは

『ジェーン・エア』が初めて。

で、この作品が大ヒット!!小説家としての道を完全に自らの手で

切り開く、出世作となります。


シャーロットはこの後、『シャーリー』、『ヴィレット』と書きましたが

一番売れたのは『ジェーン・エア』。


シャーロットの作品には決定的な特徴をざっくり一言で言うと

イギリス家父長制社会に生きながらにして、

女性のあるべき生き方を示し、自立、教育、結婚の理想像を

世の中に燦然と光り輝く情熱的表現で描いて見せた女性作家。

ということができると思います。


とりあえず、今日のシャーロット談義は終わりにして続きはまた

次の機会にします。


日ごとに内容が違うことを書いてますが、

気の赴くままに書いてますので、どうかご了承ください。